千葉から先、房総や銚子方面への列車は、東京地下駅ができる昭和47年まで、両国駅が発着ターミナルでした。
今でも各駅停車のホームから少し低くなったホームが見えますが、あのホームから銚子行、館山行、勝浦行などの列車が発着していました。
当時のキャッチフレーズは「海水浴は海のきれいな房総へ」
とにかくたくさんの乗客をさばくため、夏休み中は改札制限が行われ、駅の建物の外まで長い列が出来ていたのを覚えています。
内房線(房総西線)が先に木更津まで電化され、総武本線、成田線も千葉―成田間が電化されて電車が走り始めましたが、それでもまだ、蒸気機関車の引く列車もたくさん走っていました。
写真は両国駅に並ぶ急行列車。
中央の165系だけでも今なら大勢の「鉄」が集まりますが、右の113系のデカ目の「うち房」のヘッドマークと急行の種別表示! これぞ歴史に残る「遜色急行」というやつです。
つまり、快速や各駅停車用の車両を使用して、急ごしらえの急行列車として走らせる急行列車は、利用者としては「どうして急行料金を取るのか?」と疑問に思うひどいもので、これを称して「遜色急行」というカテゴリが現在では歴史的価値ある列車とされているのです。[:晴れ:]
季節波動が多かった房総の急行列車は、こういった遜色急行が臨時列車を中心に多数設定され、何と何と、指定席まであって、向かい合わせの部分ならまだしも、ドアのすぐわきの座席も立派な指定席として販売されていました。[:!?:]
そして極めつけは左の急行「そと房」。これも通常はあまり先頭に立つことがなかったキハ26が先頭に来ているのが、いかにも夏季輸送の増結っぽい!(理解できる人は筋金入りの鉄!)
筋金入りじゃない皆様へは、この写真のキハ26が、この度いすみ鉄道で売り出したハーブおかきの列車といえばご理解いただけると思います。
そして筋金入りの鉄として、もう一言。
左手にある白看板に赤い字で「うなら」と書いてあるでしょう。
これ意味わかります?
そう、「蒸気機関車さようなら」の看板の一部の「うなら」です。
この1枚の写真は、この日を最後に房総東線(現:外房線)から蒸気機関車が消えた時のものです。
この写真を撮影した数時間後に、佐倉機関区のC57が引く安房鴨川行が最後の蒸気機関車として両国駅を出発していきました。
現50オヤジが小学生だった昭和44年8月20日の撮影。
撮影者は私の隣に座っている川上和成鉄道部長様でございます。
おっ、筋金入りの「鉄」がここにもいたか・・・[:びっくり:]
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