思い出の山岳夜行

夜行列車にはそれぞれ目的地へ向かうという使命がありました。
寝ている間に移動して朝になったら目的地に到着している。
今は夜行バスにとって代わられましたが、高速道路網が整備されていなかった昭和の時代は皆さん夜行列車でした。

そんな中で「山岳夜行」と呼ばれる列車がシーズンになると走っていたことを思い出します。
有名なのは浅草から出る東武の電車。
23:55に出て、日光方面への登山客を運ぶ列車でした。
登山をする人たちは皆さん朝早くから登り始めます。
それに合わせて早朝に登山口の付近まで到着するような列車が登山客でにぎわいました。
大きなリュックを背負った若者たちの列車です。

新宿から長野方面へ向かう人たちが乗る列車というのもありましたね。
特徴的なのはどの列車も夜行列車でありながら特急や急行ではなくて、普通列車だったということです。
山登りに行くようなタフな男たちにとって、特急や急行は軟弱に見えたのでしょうか。
やっぱり普通列車が似合っていたのだと思います。

1976年夏の時刻表です。
私はすでに高校生でしたが、国鉄線上から蒸気機関車の姿は消えていて、私は放心状態だったことを思い出します。
その50年も前の時刻表を見るとはなしに見ていたら、東海道本線の347M、いわゆる大垣夜行に「あれっ?」と思いました。

皆さん気が付きますか?
「8月31日まで金谷停車 3:04」
とあるではないですか?

なんで金谷に停車していたのだろう?
不思議に思って60過ぎの古いスタッフに聞いてみました。
すると、
「あぁ、山岳夜行ですよ。」
という答えが返ってきました。

山岳夜行?

「そう、昔は南アルプスへ向かう人たちが大垣夜行でやって来て、金谷から連絡列車が出ていたんですよ。」

「えっ? そうなんですか?」

「とても混んでいて、たいへんでした。」

というので、大井川鐵道のページを開いてみました。

会社線のページは小さな枠だけで、大まかな時刻しか書かれていないのは今も昔も同じですが、ふと欄外を見ると「山岳夜行運転」と書かれているではないですか。

金谷発3:30 千頭着4:24
千頭発4:40 井川着6:06
井川発6:30 畑薙第一ダム着7:32

大垣夜行を金谷で降りると20分ちょっとの接続で大井川鐵道の列車が待っていて、千頭に着いたら井川線が接続して、終点の井川からバスが連絡していて畑薙第一ダムへ乗り継ぐことができるダイヤです。
畑薙第一ダムは中部電力のダムでここが南アルプスへの登山口になっていて、ここから赤岳、北岳、甲斐駒ヶ岳方面への縦走ルートを皆さん登山したのでしょう。

私は登山には全く無知ですからわかりませんが、小海線にも中央本線の夜行列車から接続する早朝の臨時列車が運転されていましたので、登山をする皆さんはそういう列車を利用していたことは記憶しています。

南アルプスへ登る皆さんは、大垣夜行を金谷で降りて、接続する大井川鐵道の山岳夜行を利用していたことは確かだということになりますから、今、大井川鐵道で夜行列車を運転しているということは、あながち架空の話でもないのです。

会社の資料を探してみると、当時の山岳夜行の車内の様子が出てきました。
大きなリュックを床に置いて、皆さんこれから千頭へ向かうところです。

こんな記念切符も出てきました。
昭和50年7月の切符ですから今からちょうど50年前ですね。
ゴールデンウィーク中と、7月下旬から8月中旬のシーズン中は毎日運転とあります。
山岳夜行は週末だけじゃなくて毎日走っていたんですね。
そして冬山は12月30日運転とあります。

昭和50年(1975年)で運転開始5周年とありますから、昭和45年(1970年)から走っていたことになりますね。

大井川鐵道は毎年頻繁に夜行列車が走っていたことになります。

しかもこの記念切符、井川線の昔の駅でダム建設で消えた犬間駅と、川根長島(現在の接岨峡温泉)駅の切符にもかかわらず本線の山岳夜行の写真。

おぉ、これはすごい。

でも、車内の写真を見るとロングシートの電車です。
まぁ、山に登りに行く人たちはそんなことは気にしなかったのでしょうけど、今の時代、夜行列車だけを目的に乗るのならロングシートはちょっとイヤだなあ。

ていうか、今まで寒い時期にスチーム暖房のぬくもりを楽しめる夜行列車をやってきましたが、夏こそ夜行列車の時期だということですよね。
しかも機関車けん引の客車じゃなく、電車です。

なんだか、また、お金の匂いがしてきました。
そう、やっぱり昭和の時刻表の中にはお金がたくさん落ちているようです。

真夏の電車夜行。
アリだな。

皆さんはそう思いませんか?