今日は東日本大震災から15年目の日ですね。
いろいろなところでいろいろなニュースをやってました。
あの日、私は午後3時からの会議のために車で千葉県庁に向かっていました。
県庁のすぐ手前の交差点で信号待ちで止まっていた時のことです。
いきなり車が揺れ始めました。
急いでハンドルを握りました。
乗っていた車は10年落ちのメルセデスE280のワゴン。
古くなってきていたので、車が壊れたかと思いました。
ハンドルにつかまりながら「外車って、こんな風に突然壊れるのか」と思いました。
でも、何かが変です。
隣の車を見ると運転士さんと目が合いました。
向こうの車も揺れています。
反対側を見ると建物が揺れています。
揺れているというよりかは、ゆがんでいると言った方が良いかもしれません。
四角い建物が平行四辺形のようにゆがみながら揺れています。
電信柱も揺れていて、電線が波打っています。
あっ、地震だ!
それもかなり大きい。
気づくまで2~3秒のタイムラグがありました。
揺れがおさまるのを待ってやっとの思いで県庁にたどり着きました。
エレベーターは止まっているので目指す階まで階段を登りました。
登っている最中、階段はところどころひびが入り、壁材が床にこぼれています。
目的の課に到着すると顔見知りの職員さんたちが「よく来れましたね」と歓迎してくれました。
事務所ではテレビをつけていて、銚子漁港で漁船が大波にもまれながらなんとか転覆を避けようと舵を切っているシーンが写っていました。
その時、第2波がやってきました。
「社長、そこ危ないからこちらへ。」
書架の前に立っていた私を部屋の真ん中へ促してくれました。
机にしがみついたか床に座り込んだかわかりませんが、何とか第2波がおさまるのを待ちました。
「で、今日の会議は?」
そう、私は会議のためにやってきたのです。
「社長、こんな状況ではできませんから中止です。」
そう言われて、私は早めに家に帰ることにしました。
帰りがけに窓から外を見ると、向こうの石油工場から火の手が上がり煙が出始めていました。

こりゃ、大変なことになったぞ。
私は帰り道に2件ほどコンビニに立ち寄ってパン、弁当、おにぎりなどをできるだけたくさん買い込んで家に帰りました。
こういう時は流通が止まります。
家にはたくさん子供がいましたので、とりあえず数日間食べさせる食料を確保しました。
これが15年前の地震発生時の私でした。
当時はスマホなどまだ普及する前で、ラインもありません。
家族にはショートメールで連絡して無事を知らせましたが、ちょうどその頃に東北では津波で多くの方が被害に遭われていたのかと思うと、今も心が痛みます。
千葉にも津波が押し寄せて被害に遭われた方がいらっしゃいますが、地震と津波がセットになってやってくるという経験は、秋田沖地震などではあったものの、日本人の多くは「話には聞いたことがある」という程度でした。
その後、新潟へ行き2024年1月1日の能登半島沖地震を経験しましたが、多分地震の大きさとしては上越で経験した能登半島沖地震が人生で最大の地震だと思います。
東日本大震災の時の方が大きかったかもしれませんが、その時私は車の中にいたので建物の中では経験していませんから。
能登半島地震の時は新潟県上越市と能登半島は海を挟んですぐ近くの距離にありましたし、マンションの最上階にいたこともあって天地がひっくり返るかと思うほどの揺れでした。
震度は5強か6弱だったと思いますが、建物の構造もあるかもしれませんね。
ちょうど料理を作っているところでしたが、全部ひっくり返ってしまいました。

もともと整理整頓ができていないのが私の部屋でしたが、こうなってしまうと放心状態で、「あぁ、すべてが終わった」と思いました。
知人が、「大丈夫ですか? 」とすぐに連絡をくれましたが、会社が心配でしたので、気を取り直して会社へ行きました。
幸い鉄道施設に大きな被害は出なかったのでホッとしました。
ということで、この15年間にもいくつもの大地震が来ています。
月並みな表現になりますが、皆さん、地震が来たら慌てずに落ち着いて行動しましょう。
災害で被害に遭われた皆様方には心よりお見舞い申し上げるとともに、できるだけ早い復興をお祈りいたしております。
▼今から15年前の今日、2011年3月11日のブログ
皆さん、大丈夫ですか? | 大井川鐵道社長 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
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