「あるところにはある」というお話

「お客さん、ちょっと寄って行きませんか?」

 

盛り場でこういう声を掛けられると、昔からロクなことはない。

だいたいボラれて財布の中身が空っぽになるのが関の山と相場が決まっています。

 

ところが、人生の粋を極めた先輩のお供で連れて行ってもらったお店だと、こちらが黙っていても他のお客さんの目がないのを確認したかのように女将さんがすっと寄ってきて目くばせする。粋な先輩は、「女将、あれある? この人にぜひ飲ませてあげたいんだ。」とそっと一言。

女将さんは黙ってうなずくと、厨房の奥へと消えていきました。

 

そして戻ってきたとき、その手にはこんなボトルがありました。

 

 

「へ~!」と私が声を上げると、粋な先輩は周りに聞こえないように小さな声で、「最高のウイスキーですよ。」

 

あるところにはあるんですねえ。

 

2~3年前だったら普通に手に入ったものが、今ではとても手に入らない貴重品。

なんだか昭和20年の話みたいですね。

本当に2~3年前だったら手に入ったものが、戦争が激しくなるにつれ、だんだんと物資が無くなって行き、高級品は手に入らなくなっていったなんて話は、明治生まれのおばあちゃんや、昭和ひとけたの両親からさんざん聞かされていましたから、

 

「あるところにはあるんですねえ。」

 

というのが私の正直な感想。

 

でも、おばあちゃんが言っていたのは、「隠匿物資と言ってね、当時だってあるところにはあったんだよ。」

 

不安になった私は、「こういうものを飲んでいたら、ガラッとドアを開けて憲兵が入ってきて、『貴様ら、不心得者の非国民が!』って連れて行かれそうですね。」と申し上げましたら、粋な先輩が、「そんなこと言わないで、まあ、飲みましょうよ。」と何の躊躇もなく封を開けてくれました。

さすが、先輩。そういう所が粋なのですよ。

 

ということで御相伴にあずかりました。

 

大切なお酒ですから、オンザロックでチビチビやって、氷が解けてきて水割りになって、そこにまたウイスキーを少し足して、その上からソーダを入れて。

貧乏性の私は、1杯のグラスで3杯分楽しんで、それを3回繰り返して、至福の時間を過ごさせていただきました。

 

先輩、どうも御馳走様でした。

 

とお礼を言ってお店を出たとき、先輩の手にはコンビニの袋に無造作に入れられた未開封の同じボトルがもう一本。

 

いやあ、あるところにはあるのですよね。

世の中には。

 

60近くなっても、人生は勉強の連続なのであります。