訃報

訃報です。

山形鉄道の公募社長として活躍された野村浩志さんがきょう未明にお亡くなりになられたという連絡を、春田さんからいただきました。

昨日の晩に救急車で病院に運ばれ、午前1時過ぎに息を引き取られたとのこと。
全く寝耳に水で、絶句しました。

野村さんは1968年生まれですから私よりも8歳年下。
まだ50代半ばです。

読売旅行で旅行の企画をしてこられた経験を活かして山形鉄道の公募の社長として、様々なアイデアで鉄道を活性化させました。
長井駅が改築されて、今、市役所と一緒になっていますが、そういう道のりを作ったのも野村社長だと私は考えています。

絵が上手でね。
昭和レトロ大好きで、駄菓子屋も営んでいらっしゃる多才な方でした。

野村さんのFACEBOOKページより。

このディーゼルカーは島原鉄道を走るシーンですが、野村さんが色鉛筆で描かれたペン画です。
凄いでしょう。

昭和レトロ感満載の野村さんの駄菓子屋さん。

2015年4月。水害で線路が流される被害を受けた時、春田さんと一緒にお見舞いに伺った時です。

2017年、奥会津の柳津温泉「花ホテル 滝のや」さんで講演会を行った時です。

野村さんとはこうして長年お付き合いをさせていただいてきましたが、ここ数年はお会いしていませんでした。

数日前のブログで「私は元気です」なんてタイトルを付けて、2012年の2月に山形鉄道を訪ねた件を載せましたが、あの時は終点の荒砥駅からちょっと奥に入った温泉宿で野村さんと一緒に飲んだんですよ。

突然そんなことを思い出したのも虫の知らせだったのかな。

野村さんは上下分離ならぬ上中下分離という考え方を提唱している方で、まさにこれからそういう時代が始まろうとしている、今は夜明け前なんです。

そんな時に、大切な人を失ってしまい、ローカル鉄道業界は大きな痛手です。

一緒に戦ってきた戦友ですから、本当に残念です。

野村さん、私はもう少しこちら側であなたがやり残した仕事を引き継いでやっていきますから、見ていてください。

いずれそちらへ行きますので、その時はまた一緒に飲んで時刻表の話をしましょう。

本当にお疲れさまでした。

ご冥福をお祈りいたします。