タイトルの会議に出席するために上越市へ行ってきました。
現在D51レールパークとして運営されている直江津駅構内に残る扇形庫や転車台を中心に、五智公園のD5175保存機関車や頸城鉄道のコッペルやホジなどの保存車両、そして二本木駅のスイッチバックなど上越地区には様々な鉄道遺産群があります。
これを有効活用して地域の皆様方に親しんでいただけるように、そして全国からの集客のツールになるように有効活用しましょうというプロジェクトで、私は副委員長になっています。
でもって、実は大井川鐵道の新金谷駅前のプラザロコの中に直江津の工場で入換に活躍したSLがとても良い状態で保存されていることから、私は将来的に大井川鐵道のビジネスにならないかとも目論んでいるわけで、鉄道事業者ですから、トキめき鉄道でできない部分をきちんと採算ベースに乗せてたっぷりと稼げる仕組みを作ろうと思っているのであります。
まぁ、これは打算ではありますが、本来の意義としては直江津を元気にしたいということでありまして、ただ、地方創生とか地域活性化とか、もうずっと前からやっていますけど、地域の有志が集まって行政主導型でやってうまく行ってるところはほとんどなくて、直江津がその轍を踏まないようにしなければならないというのが、私が会議に出ているもっぱらの懸念材料であります。
というのも、直江津の皆さん方は二言目には「直江津は鉄道の町だ」とおっしゃいますが、それは単なるお題目に過ぎないということを私は感じているわけでして、つまり、地元の人たちは直江津の価値がわかっていらっしゃらない。
だから、直江津というところが外から見たらどう見えるのかということを鉄道を通じて地域の皆様方に知っていただかなければ、そもそも論として活性化などないわけです。
なぜならば宝物の価値がわからなければ「○○に真珠」ならぬ「直江津に真珠だ」と言われかねないからで、そうなると恥ずかしいじゃないですか。
だから、直江津の価値というものを地域の皆様方に再認識していただいて、「直江津は素晴らしい町だ」と皆さんに自信を持っていただきたいのです。
それが市役所が絡む大きな理由だと私は考えていて、直江津だけじゃなくて、上越地域全体が大阪方面から来た時の新潟県の玄関口になるという自覚を持っていただきたいのです。
前に中川市長さんが「直江津に商店街なんてあったっけ?」と発言したら、直江津の商店街の皆さんが猛反発しましたけど、一般論としてあの町並みは商店街とは言いませんよ。
誰が見たって商店街には見えない。
だから、市長の発言に「けしからん!」と憤慨している暇があったら、そういうことを言われないように、誰が見たって商店街ですねと思われるようなことをやらなければならないのです。
ということで、直江津というところは東京でも大阪でも多くの皆さんが知っている地名で、それは鉄道が直江津を全国区にしたのですから、鉄道の歴史を再認識していただいて、鉄道を踏み台にしてのし上がって行っていただきたいのであります。
手元に1978年9月号の時刻表がありますので信越本線のところを開いてみました。
すると一番最後のところに「荷物列車」というのが出ています。
荷物列車とは貨物ではなくて荷物を運ぶ列車です。
今でも貨物は貨物鉄道が運んでいますが、旅客鉄道は荷物を運ぶことができます。
新幹線が鮮魚を運ぶ実験などをやっていますが、荷物なら旅客鉄道で運べるんですが、では荷物とは何かというと、簡単に言うと今の宅急便のことです。
この荷物列車は隅田川駅発直江津行。
隅田川というのは南千住のところですが、当時は宅急便などはありませんでしたから、都内の各駅に小荷物窓口というのがあって、田舎のお家へ送りたい荷物を国鉄の駅に持って行くんです。
昼間集めたそういう荷物を隅田川駅に運びまして、長野、新潟方面の荷物はこの荷物列車(列車番号2045列車)に乗せます。
この列車は小諸、上田、篠ノ井、長野と長時間停車して東京からの荷物を下ろしていくんですね。
当時はまだ高速道路がない時代ですから、たぶん鉄道で運ぶのが一番良かったのだと思います。
長野で編成を切り離したりして直江津へ向かうのが6:21。
妙高高原着が8:40ですから2時間20分もかかってる。
ということは各駅で長時間停車しながら東京からの荷物を下ろしていたことになります。
妙高高原で5分停車して8:45発。
直江津着が10:48ですから、妙高高原-直江津間も2時間以上かかっています。
同じように長時間停車して荷物を下ろしていたのでしょうね。
例えば妙高高原-関山間は28分かかっています。
でも、他の列車を見ると10~12分で運転されていますね。
つまり、関山駅で10分以上停車していたことになります。
もちろん単線区間ですから、交換列車の待ち合わせもあると思います。荷物列車は優先順位が低いですから、特急、急行はもちろん、普通列車にも抜かされたりします。でも、そういう停車時間をとって東京からの荷物が関山に到着したということになりますね。
同様に二本木-新井間19分。
新井-脇野田(今の上越妙高)間が17分
脇野田-高田間は23分。
高田-春日山間が15分。
いくら機関車がけん引する列車は遅いとはいえ、ふつうに走ってこれほど時間がかかっていたわけではなく、各駅に数分ずつ停車して荷物を下ろしていたのでしょう。
こうして、前日に都内で集荷された荷物が翌朝上越地区に届けられていたのです。
同様に、直江津から墨田川へ向かう荷物列車も走っていました。
さて、時刻表をよく見るとこの列車は「隅田川発9月5日までは豊野止まり(豊野始発)」となっていますね。これはどういうことでしょうか。
実はこの年の5月18日に妙高高原-関山間の白田切川の上流で大規模な地滑りが発生し、信越本線の線路が流されてしまったのです。その復旧工事がひと夏かけて行われて、9月7日に復旧して列車が走り始めたのです。(夜行列車なので始発駅基準で記載されています。)
妙高高原を出て関山へ下って行くと緑色のトラス橋を渡りますよね。130年以上前に作られた信越本線にしては、あの鉄橋は新しいでしょう。そう、あの橋の付近が地滑りの被害を受けてこの時に復旧した場所なのです。
その時の暫定ダイヤです。
妙高高原-関山間が連絡バスでの代行運転。
中には客車列車もありますね。
長野の方から来て、妙高高原で機関車を反対側に付け替えて長野方面へ戻っていたのでしょう。
時刻表一つ見たって、これだけのことがわかるんですよ。
そして、直江津が列車の発着の中心になっていたのですからね。
宅急便なんてない昭和の時代に、こうして専用列車で個人の荷物を運んでいたなんてね。そしてその列車が直江津発着なんですから。
こういうお話が山のように眠っているはずなんです。
だから、そういうお話を今のうちに集めておかないと知ってる人が誰も居なくなっちゃうんです。
ということで、ご興味がある方はこちらをご覧ください。
いきなり私が出てきますけど、写真ばかりじゃなく、上越地域の鉄道にまつわる思い出話など、なんでも集めておきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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