百科事典と川中島の戦い

皆さん、百科事典ってご存じですか?

百科事典。
英語で言うとencyclopedia。
何でも書いてある辞典のことで、今から50年以上も前の昭和40年代に百科事典の一大ブームが巻き起こりました。
何でも書いてあるということは情報量が莫大ですから、1冊で収まりきれるはずもなく、全20巻などというとてつもない大きなもので、家の居間の書棚にド~ンと鎮座するほどの物でした。
そうですねえ、1冊7~8センチの厚さがあるとして15~20巻で2メートル近くになるんですよ。
そういうものが、お家の居間にド~ンと鎮座しているということは、これは一種のステータスなんです。

来客があると当然目につきます。

「あら~、すごいですねえ、百科事典。おたくのお坊ちゃん勉強できるでしょう。」

てな感じ。

だから、皆こぞってこの百科事典なるものを買って自宅に置くのです。

でも、全20巻以上のものですからかなり高価で、今の値段で言うとたぶん1冊7~8000円はするんじゃないでしょうか。
とすると総額で20万円もすることになります。
まだ世の中がそれほど豊かになっていない高度経済成長の始まりの頃ですから、当然、キャッシュでド~ンというわけにもいかず、かといってローンを組むほどのことでもない。
じゃあ、どうするかというと、毎月1冊ずつ届くんです。
1年以上の間、毎月1冊ずつ。
そういう契約をセールスマンがやって来て、1軒1軒回って取って行くんです。

当然ですが、家にもありまして、毎月毎月1巻ずつ増えていきました。

で、百科事典ビジネスのお話。

どういうことかというと、百科事典というのは家に2つも3つも要らない。
全20巻揃ってしまえば、もうリピートオーダーは取れないんです。
ということはつまり、ある程度飽和したらもう市場は開けないということになります。
簡単に言えば日本中に行きわたってしまったら、もう売れないんです。
これが百科事典ビジネスです。

だから、たぶんですけど、この百科事典ブームは10年ぐらいだったでしょうか。それほど長くは続きませんでした。
そのうち、狭い家に百科事典なんてものを置くのが邪魔になって来て、つまり誰も見向きもしない飾り物と化して、今頃はきっと断捨離の対象になっているのでしょうね。
若い人たちはネットがあればそんなものは要らないし、第一存在すら知らないでしょう。

で、家々を回って、あるいは街頭で百科事典を売っていたセールスマンたちは仕事がなくなりました。
それでどうなったのかというと、次のビジネスが始まりました。

それは何かというと、「家系図ビジネス」です。

ドルショックとかオイルショックとか、いろいろありましたが、昭和50年代になると10年前とは比べ物にならないほど人々の生活が豊かになりました。
家の中にはひと通りの物が揃って、マイカーも持てるようになる。
その頃登場したのが家系図ビジネスで、「あなたの家の由来をお調べしましょう。」とセールスマンがやってくるのです。
セールスマンですから昼間不在の共働きのサラリーマンの家には来ません。
狙いを定めるのは自営業の家で、商店や町工場などを訪ねては「社長さん、お家の由来を調べませんか?」と言うのです。

ある時、町工場の社長をしていた親戚の伯父さんが、「アキラ、おもしろいことを調べてもらってるんだ。」と言いますので、何かと尋ねたら、名字の由来を調べてもらっていると言います。
たぶん、相当な金額だったと思いますが、世の中が豊かになってきていた時代ですから、物から事へ、消費も移行していったのでしょう。
ちょうど、テレビドラマで「ルーツ」というのをやっていて、アフリカから奴隷としてアメリカへ連れで来られた黒人の物語なんですけど、これが大ヒットしてまして、刑事コロンボに次ぐ大ヒットでした。

つまり、自分のルーツについて、皆関心を持っていたんでしょうね。
今思えば、その心情を狙い撃ちしたビジネスだと思います。

しばらくして伯父さんから「答えが来た」と連絡があって、聞きに行きました。

伯父さんというのは母の兄で苗字は清野と言います。

その清野という苗字が初めて確認できたのが川中島の合戦で、上杉方の足軽の中に清野という苗字がある、と言うのです。

嘘だか本当だかは誰も知りませんよ。
でも、やっぱり高いお金を払ったんだろうなあと思ったのは、分厚い本になっていて、資料も添えられているわけで、その本によると、清野という姓は上杉謙信に仕えて、その後東北の方へ移動したとのこと。
確かに私のおじいちゃん、おばあちゃんの出は福島ですから、なんとなく合っている。
で、ある場所を境に南へ行ったのを「きよの」と言って、北へ行ったのを「せいの」と呼ぶらしい。
フ~ン、そうなんだ。

これが私が高校生になったころですから、昭和51~2年ごろのお話です。

でもって、会社に勤めるようになって、いろいろな人に出会うようになると、その中に清野さんと言う人がいる。読み方は「せいの」。
で、出身を聞いてみると山形とのこと。

なるほどなあ。

あの家系図ビジネスは、まあ、ある程度パターン化できていたのでしょうけど、まんざらデタラメでもなかったのかなあ、などと思ったのであります。

というようなことを、実は先日、11月30日から12月1日にかけて、上越地域で食べられる川渡餅という風習を聞いて、どこからともなく突然思い出したのであります。

ということは、私の先祖は上杉謙信に仕えていたということになるのか。

でもまあ、足軽ですから、何万という軍勢のうちの一人なんでしょうけど、きっとご先祖様も川渡餅を食べて出陣して行ったのだろう。なんてことを考えるのであります。

そして、そのご先祖様はたぶん川中島では河原の石と同化することなく生き延びて、上杉に付いて山形経由で福島へ行ったのでしょう。

そんなことは誰もわかりませんが、たぶんそうだと思うと、やっぱり川渡餅が食べたかったなあと、今夜は意地汚く思うのであります。