人事部長の人事

皆様もよくご存じのことと思いますが、私はあまり難しいことを考えることができない頭の構造をしています。

干支が5回も回転していい年こいたお爺さんになってもそれは同じことで、でも、わからないことをそのままにしておくのはイヤなので、ときどき、なんの恥ずかしさもなく質問することにしています。

「これって、どういうこと?」って。

その一例。

ある時、私の友人が人事部長になりまして、会社の立て直しに専念しました。
とにかく過去の経緯から問題が多い会社で、既得権を中心に権利関係が入り乱れていて、それを何とか整理しなければならないという時に人事部長になったんです。

「大変だなあ。」

「まあね。」

そんな会話がありましたが、それきりしばらくの間交信はありませんでした。

やがてニュースで会社の立て直しがほぼ成功したと聞いて、「なかなかやるなあ。」と思っていたところに、「俺さあ、今度は北京に転勤になったんだよ。」と連絡がありました。

「えっ?」

私は自分の耳を疑いました。

何しろ当時の北京は日本企業が焼き討ちに合うなど、日本製品ボイコットで大変な時。人事部長として会社を立て直したばかりの人間を、今度はそんなところに赴任させるのか?

そう思った私は「今度遊びに行くからね。」と声をかけるのが精一杯でした。

やがて彼は北京に単身赴任したのですが、私は気になって気になって仕方がなかったので、北京の彼の事務所を訪ねたのです。

「本当に来てくれたのか?」
「だから、遊びに行くよって言ったじゃないか。」
「みんなそう言ってくれるんだけど、本当に来てくれたのはお前が初めてだよ。」

うん。どこかで聞いたセリフだなあ。

そうだ、あの時だ。
東日本大震災の後、私はひと月半の時点で三陸鉄道を訪ねたのです。
その時、当時の望月社長さんから言われた言葉。

「鳥塚さん、あなたが初めてだよ。みんな、応援に行くと言ってくれるんだけど、本当に来てくれたのはあなたが初めてだ。」

そう言えば、私も同じ経験をしてますからね。

航空会社を辞めてローカル線の仕事に身を投じたときに、みんな「遊びに行くからね。」と言ってくれました。

でも、実際に来てくれたのは人事部長として会社を立て直して、その後北京に転勤させられた彼が初めてだったんです。
それも家族を連れて。

その時はうれしかったなあ。
だから、私も社交辞令など言わず、実際に行く。

山形鉄道が水害で線路がやられた時も、南阿蘇鉄道が地震で走れなくなった時も、くま川鉄道とおれんじ鉄道が水害で動けなくなった時も、私は自分で飛んで行って、「大丈夫だから元気出せ。」と励ました。
私のような人間が行ったところで何の役にも立たないけれど、多分みんな「行くよ。」と言ってくれるけど、実際にはなかなか行けないだろうから、自分がみんなの分も代表して励ましに行けば、少しはお役に立つかもしれない。

田舎にいると不安になるんですよ。
自分は忘れ去られているのではないかって。

だから、とりあえず顔を見に行く。

私が北京空港に降り立った時、彼は運転手付きの黒塗りの車で迎えに来てくれて、「本当に来てくれたんだ。」と喜んでくれたのです。

そして、その車の中で、私は不思議に思ったんです。

人事部長に「お前は北京に行け!」と命じるのはいったい誰なのか、と。

子供の頃、やっぱり不思議だったことがありまして、それはプロ野球の世界に選手兼監督という人が何人かいまして、例えば阪神タイガースの村山監督。彼はピッチャーでした。
でもって、勝っているときは良いけど、ボコボコに打たれた時に誰がピッチャー交代を告げるのか。

ふつうは監督が出てきて「大丈夫か?」「まだやれます。」みたいな会話があって、2度目に監督が出て来たらピッチャー交代。
でも、監督自身がピッチャーだったら、いったい誰がピッチャー交代を告げるのか。
その不思議は今でも解決していないけど、人事部長の人事は誰が決めるのかというのも不思議な話で、まぁ、私は気の置けない友達でもあるので、自分の疑問点を直接彼に聞いてみたのであります。

「お前さん、人事部長だったろう。その人事部長に北京へ行けって、誰が決めたんだ?」とね。

すると彼の口から帰って来た言葉は、「そりゃ、会長と社長だよ。」

確かにそうかもしれない。
でも、会長ってまさか・・・

そう思って私は次の質問をしました。

「会長って、稲盛さん?」

「うん、そうだよ。」

平然と言ってのける彼。
その姿勢に私は「すげえなあ。」と思いました。

何しろ、歴史の転換点となるニュースの中に彼はいて、彼はあの稲盛さんから直接教えを受けていて、私はその彼とマブダチで、北京の高速道路を走る運転手付きの黒塗りの車の中でそういう話を直接聞いているんだから。

人事部長としてあれだけの大仕事をやってのけた人間を、今度は日中摩擦の真っただ中の北京に送り込むんだから、私はその時ピンときました。
そして彼にこう言ったのです。

「お前さん、社長になるよ。」

あれからあっという間に10年の歳月が流れましたが、北京から呼び戻された彼はその会社の社長になることはありませんでしたが、誰でも知っている関連の大旅行会社の社長になって、このコロナ禍という大変厳しい時代に、何とか旅行会社の舵取りをして、この春やっと退職して、今は自分のふるさとに帰って、地域貢献の舵取りをしていますが、これもまた一筋縄ではいかないようで、多分苦労してるんだろうなあ。

と、そんなことを考えるのであります。

では、なぜ、そんなことを考えるのかというと、実は毎年各地で活躍する気の置けない友達とオヤジの会の旅行をしていて、そろそろその時期なんですが、今年は彼のふるさとでやろうね、という話になっているものの、企画の話が来ない。
ということは、きっと大変なんだろうなあ、と思うのであります。

考えてみれば凄いことで、オヤジの会と言いつつも、還暦過ぎたお爺さんたちが全員現役で全国各地に散らばって活躍してるんですからね。それも単身赴任で。

馬鹿な質問 その2

そのオヤジの会の仲間の中には奥様が大女優という友もいて、私と同い年の彼もやっぱり単身赴任しているので、不思議だったのでこんな質問をしてみました。

「奥さん、訪ねてくる?」

何しろそこらへんに歩いている人なら誰でも知っている大女優さんですからね。そういう人が地方都市に単身赴任している旦那を訪ねてきたら大騒ぎになるのではないか。
そんな興味本位の気持ちもあって聞いてみたんです。

そうしたら、
「うん、2週間に一度ぐらい来るよ。洗濯とか買いものとかあるし。」
という返事。

「えっ? 洗濯?」
「そう、コインランドリーとか。」
「えっ? 大女優さんがコインランドリー?」
「ふだんの格好をしていればわからないみたいだよ。」
大女優さんが普段着でいると誰も気付かないものなのでしょうか。

「あの人の場合はスイッチがあるんですよ。そのスイッチが入ると女優になって、スイッチが切れると普通の人。だから誰も気付かないと思うよ。」

こんな話を聞いたので、私は家に帰った時にカミさんに聞いてみた。

「大女優さんも、2週間に一度ぐらい旦那さんの赴任先に来ているみたいだよ。」って。

何しろうちのカミさん、まもなく3年になる旦那の赴任先に1度も来たことありませんから。

「ふ~ん、そうなんだ。でもうちは無理よ。猫が6匹いるんだから。」

これがその時の返事。

皆さんどう思いますか?

でもね、そういう時に、私は難しいことが考えられないという自分の頭脳の特技に感謝するのであります。

そろそろオヤジの会の旅行に行きたいよ。

そうそう、大女優さんにも早いとこ雪月花に乗ってもらわないと。


おととしのオヤジの会


去年のオヤジの会

60過ぎて友達に会う。
オヤジの会は楽しいのであります。