今日は遅くなりましたので、直江津発21:00の妙高高原行に乗車しました。
ご覧のような状況です。
赤字の会社がこういう列車を運転していて良いのでしょうか?
そういうご意見の方も多くいらっしゃると思います。
でも、それは費用的便益性の話です。
私はインフラとしての鉄道会社は費用的便益性だけではなくて、社会的便益性も考えなければならないと思います。
つまり、こういう列車が走っていれば、乗ろうと思えば乗れるわけで、それは地域の価値を上げるかもしれないということです。
21:00発の妙高高原行は20:43に直江津に到着する列車の折り返しです。
その20:43に直江津に到着する列車というのは上越妙高駅を20:28に発車する新幹線接続の臨時列車「おかえり上越」です。
この列車からも10数名が下車して、そのうちの数名は20:46発の北越急行に乗り継いでいきました。
こんなにガラガラに見えるトキ鉄の列車も発車の5分前になると部活帰りの高校生をはじめ、信越本線からの乗り継ぎ客も合わせて20名ほどが乗車しました。
定刻に直江津を発車して、構内の分岐を過ぎたあたりで、いきなり車掌がやって来て「乗車券を拝見します。」
すると、信越線からの乗り継ぎ客でしょうか。切符を持っていない人がいました。
車掌は手書きの切符で数百円区間を発行し、運賃収受しました。
でも、そんな1人か2人の無札のお客様のために車掌を乗せて乗車券を販売することは人件費を考えたら赤字ですよね。
じゃあ、やらない方が良いのでしょうか。
この時間帯、駅はすでに駅員の対応は終了しています。
車内で切符を売らなければ、出口はフリーパスですね。
でも、そもそも論として、直接的に経営の自助努力を問うのであれば車掌は乗せない方が良いし、1人か2人いるかいないかの切符を持っていない人もいちいちチェックせずにそのまま乗せた方が、経営効率として良いのであれば、そうした方が良いのでしょうか。
私はそうではないと思います。
なぜならそれが社会的便益性だからです。
車掌が乗っているのは、臨時列車「おかえり上越」を運転するにあたり、もともとワンマン放送の自動アナウンスが上越妙高折り返し列車には対応していないから乗せているわけで、その車掌が折り返しの列車で乗車券をチェックして取り漏れのないようにする。
それは最大限の自助努力だと私は考えます。
それにしても21時発の電車に乗る高校生。
都会では当たり前ですが、田舎でこういう電車が無ければ、予備校にも通えないわけですから、長い目で見たらそういうところから田舎の力が衰えていくわけで、私は、そうならないように電車を走らせることは大切なことだと思います。
社会的便益性ということを仮説を立てて検証する。
ただし、その検証の結果がすぐには出てこないところがこの問題の根が深い所だと私は考えます。
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