親不知大雪崩遭難災害百年献花式

今日は糸魚川市で100年前に発生した北陸本線雪崩災害の献花式が行われました。

この災害は今からちょうど100年前の1922年(大正11年)2月3日に糸魚川市の北陸本線青海-親不知間で発生した雪崩が列車を直撃した大事故です。

当時の北陸本線は単線で、現在のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの富山から新潟方面へ向かう海側の路線を使用していました。深谷トンネルを出てすぐに次の勝山トンネルに入りますが、事故現場はそのトンネルとトンネルの間で、先頭の機関車と次の客車はすでに勝山トンネルに入っていて難を逃れましたが、2両目以降の客車が雪崩に飲み込まれて大破したものです。

詳細はWIKIPEDIAをご参照ください。

この時は大雪で北陸本線が不通になっていましたが、地元民が復旧のための除雪作業に駆り出されて、雪崩に遭ったのは作業を終えた皆さんが帰路につくために乗車していたその列車だったため、地元の方々の犠牲者が数多く出ました。
糸魚川市ではこの事故を風化させないために市役所の文化振興課がきちんと災害史をまとめていて、本日の百年献花式は糸魚川市が主催して実施されました。

本当であれば鉄道会社が執り行うべきものかもしれませんが、この百年間に官営鉄道から国有鉄道、JR、そしてトキめき鉄道と鉄道を運営する母体が大きく変わってきているもので、なかなかトキ鉄が音頭を取るということが難しい状況にありましたが、昨年から「そろそろ百年ですね。」ということで、地元の皆様方とお話をしまして、今回は市役所で執り行っていただいて本当にありがたいことだと感謝いたしております。

災害発生場所は地形が険しく立ち入ることが難しい場所のため、慰霊碑があるのは災害発生現場から東へ1㎞ほど離れた場所になりますが、ここも山が海に迫る厳しい地形のところで、国道8号線を行きかう車の横にあります。

糸魚川市の米田市長さんが式辞を述べられ、犠牲になられた方のご遺族と言いますか、子孫の方々が献花をされました。
私も末席で献花をさせていただきました。

人里離れた辺境の厳しい地形のところに大変な苦労をして線路を通した先人たちがいるわけですが、こういう事故の記憶というのも風化させることなく、きちんと受け継いでいくことが、私たち事業者にとっては安全を確保する第一歩になると私は考えます。

終了後、この事故の詳細を語り継ぐ講演会が開催されました。

道を開く人
道を守る人
道を進む人
感謝を捧げます

こう書かれていますが、この言葉は糸魚川市出身の相馬御風の言葉です。

道を開く人というのは、大きな困難を乗り越えてここに鉄道を通した人のことです。
道を守る人というのは、この鉄道をしっかり守る人です。
道を進む人というのは、この鉄道を運営する人、列車を走らせる人です。

自分たちの町に鉄道が走るありがたさを、この詩から感じることができますが、今、トキめき鉄道は道を守る人であり、道を進む人であります。

90名以上が犠牲となった国内最大の鉄道雪崩災害のちょうど百年という節目の時期に、私がトキめき鉄道を預からせていただいていることに、先人たちから大きなメッセージをいただいたような気がした一日でした。

1922年(大正11年)のこの大災害があって、長い長い冬を乗り切って、何とか春が待ち遠しい。早く明るい春が来ないものか。
相馬御風が「春よこい」を作詞したのが翌年の大正12年ですから、あの「春よこい」には御風のそんな思いが込められているのではないでしょうか。

この大災害から百年の今年は、鉄道開業150周年です。

鉄道は夢と希望を乗せて未来へと走り続けなければならないと、あらためて教えられたような本日の百年式典でした。

糸魚川市の関係者の皆様、ありがとうございました。