只見線と聖火

福島県から聖火リレーがスタートしましたね。

オリンピックに関してはいろいろなご意見をお持ちの方がいらっしゃると思います。我が家でも夫婦や親子で意見が違いますからね。
そういう多様なご意見があるということを踏まえたうえで敢えて申し上げますので、「違う」「俺はそうは思わない」という方はどうぞスルーしてください。これは私のブログでありまして、それがネットというものですから。

ということで、わたくし的にはオリンピックの聖火リレーがスタートしたことはとてもうれしいことであります。
ここまで来たらオリンピックはどんな形であれやるべきだと思いますし、コロナは全世界のことですから、参加するしない、できるできないはそれぞれのお国の事情がありますが、モスクワオリンピックの時のような戦争でボイコットするのとは事情が異なります。多分20~30年も経てば、「そういえば東京オリンピックの時は大変だったね。」という話になると思いますが、それはモスクワの時とは全く違うと思います。

今から57年前になるんですね。
昭和39年の東京オリンピック。
私は当時4歳でしたが、うっすらと覚えていますよ。
うちにはテレビがなかったので、父と一緒に近くの中華そば屋へ行って、店内の角の上の方に設置されている白黒テレビでアベベが走っているのを見たことを。

あの当時は日本の国は今よりもずっと貧しくって、戦後の傷跡がまだ残っていて、インフラ整備も満足でなく、社会保障も全く違っていました。
「つづり方兄弟」という映画がありますが、昭和30年代というのはまさしくあの映画に出てくるような時代だったわけで、地方へ行けば学校も満足に行けなかったり、病気になっても満足に薬をもらえずに亡くなっていく子供たちもいたのです。

そういう時代にオリンピックをやるというのですから、国立競技場も作るし、新幹線も作るし、高速道路も空港も整備しなければなりません。おそらく当時としては天文学的数字のお金がオリンピックにつぎ込まれるわけですから、そりゃあ世の中は「万歳! 万歳!」ではなくて、「そんなことに金を使うぐらいならもっと他にやるべきことがあるだろう。」という論調が主流だったと思います。

何しろ東海道新幹線だって外国からお金を借りて建設しなければならないほど日本はまだまだ貧しかったのですから。

でも、オリンピックを開催することで大きなインフラ整備ができて、それが次の時代につながっていったということも事実ですよね。

では、あれから半世紀が経過して今回のオリンピックはどうなのかというと、ありがたいことに昭和の日本人、私たちの先輩方が一生懸命努力をして日本という国を世界に冠たる国にしてくれました。おかげさまで私たちは暑さも寒さもしのぐことができて、いつでも好きな時にお腹を満たすことができる社会システムを手にすることができました。そういう今の時代に、私たちが進まなければならないのは文化的なこと、心の内面を磨くことではないかと私はいつも考えています。

昭和の日本人は一生懸命働いて日本をこれだけの国にしてくれました。でも、その反面彼らは物欲に取りつかれ、金の信者、金の亡者になって、少しでも人より経済的に上に出ることが豊かになることだと信じて疑わず、他人を蹴落として自分がのし上がることが当たり前だという考えでした。

でも、この令和の時代、私たちは精神的にもっと先へ進まなければならないと私は思います。
特にローカル鉄道なんてものを担当していると、「赤字は悪だ。」「儲からないのならやめてしまえ。」という判断基準ばかりが先に立っていることを嫌でも思い知らされます。

じゃあ、儲かる鉄道って何ですか?
儲かる鉄道って素晴らしいんですか?

電車は東京の地下鉄や山手線だけあればよいんですか?

いやいや、そうじゃないでしょう。
田舎の電車(汽車)ほど心が安らぐものは無いんじゃないでしょうか。
そして、都会人はそういう田舎があることで、心が安らぐことができる。
つまり、精神的に豊かになれるのが田舎の電車なんだと思います。
だとすれば、お金の信者だった昭和の先輩たちの判断基準を今こそ見直して、精神的に豊かになっていくことが私たちには必要であって、だとすれば、今回のオリンピックだって、「俺たちの税金を無駄遣いしやがって」的な反対論ではなくて、アスリートたちが長年夢と希望に向かってひたむきに努力してきたそのチャンスを奪うようなことをせずに、しっかりとチャレンジしていただくことで私たちもその姿に夢と希望を見れるのではないかと、私はそんな風に考えるのであります。

そりゃあ、確かに大きなお金をつぎ込んだ割には不祥事というかガタガタ感がぬぐえず、国民が不信感を抱いているのは事実かもしれませんが、スポーツの祭典というのは私たちの日々の生活の足しにはまったくなりません。
甲子園だってサッカーだって、別になくたって実質的な生活には関係ありません。

なぜならスポーツというのは文化ですから。

文明の発達は私たちの日常生活の向上に役立ちます。
でも、文化は私たちの日常生活の向上には役に立ちません。

じゃあ、要らないんですか?

というと、実はそうでもなくて、半世紀前のオリンピックはきっかけとして文明の発達に寄与しましたが、今回のオリンピックは心を豊かにする、そういう文化的な価値をもっともっと私たちが突き詰めていくべきではないでしょうか。

今回のコロナで「不要不急」が悪者扱いされています。
疫病の拡大というのは人間が動き回って活動することによって伝搬するものですから、最低限の動きにとどめるために「不要不急」という言葉が出てきているのであって、文化が要らないというわけではありません。

何度も戦争を経験して、経済的豊かさも経験して、私たちはそのうえで次に進まなければなりません。
それは経済的価値観だけを信じるのではなく、心の豊かさを磨いていくことだと私は思います。

ということで前置きが長くなりましたが本日のタイトル「只見線と聖火」のお話。

只見線を記録し続ける郷土写真家の星賢孝さんが本日UPした写真です。

決定的瞬間ですね。
さすが今を時めく世界の星賢孝氏。
星さんじゃなければとれないカットです。

オリンピックなんか要らないという人は、きっと只見線も要らない人かもしれません。
でも、その要らない者同士でも、こうして見ると良いでしょう。

これがわかるのが「心」なのではないでしょうか。

話題沸騰の炎上狙い?
一瞬を逃さない星さんの遊び心ってなんて素敵なんでしょう。

オリンピック関係者の皆様、ぜひ頑張って成功させましょう。