ビール1本130円

たまたま朝ドラを見ていたらこんなシーンがありました。
戦後の復興期の話だと思いますが、毎日見ているわけじゃないのでいつの時代なのかはっきりしませんが、多分昭和30年代のオリンピックよりも少し前の時代。
私が生まれた昭和35年ごろのような気がします。

で、後ろの壁に貼ってある「日本酒百円」「ビール百三十円」の文字。
生まれたころの話ですから記憶はありませんが、ずいぶん高いような気がします。

調べてみると昭和35年の大卒公務員の初任給は約13000円。
今20万円として約15倍。
ビールの値段も15倍すると1950円になりますね。
結構高いですよ。

ビールの隣に「日本酒百円」と出ていますが、私が子供のころはこういう所にはたいてい「清酒」と書いてあった記憶がありますが、いずれにしても15倍したら1500円。

ということは、当時のラーメンは60円ぐらいしていたでしょうから、今の値段にすると900円。そう考えると、ビール130円、日本酒100円は高いなあ。

あくまでも昭和35年と仮定しての話ですが、ちょっと高いような気がします。
もしかしてもう少し後の時代でしょうか。
昭和40年頃ならビール130円もあり得るかもしれませんが、でも、これから東京オリンピックの話が出てくるようですから、やはり昭和30年代中頃かなあ。

もっとも、池田首相の所得倍増論のころですから、物価もどんどん上がっていた時代です。1年間違えば相当価格が変動するでしょう。
実に興味深いので調べてみました。
いったい当時のビールがいくらだったのかと。

何で調べたのかというと、もちろんこれ。
今、新潟の家にある一番古い資料が昭和44年5月号。
国鉄の等級が廃止されて普通車、グリーン車になった時の時刻表です。

私が9歳になる時ですが、この時点でビールの値段はいくらだったのか。
気になると思いませんか?

当時の長距離列車には食堂車が連結されていました、時刻表の後ろの方のページにはその食堂車のメニューが掲げられています。

これによると、新幹線、在来線食堂車、ビュッフェ、青函連絡船食堂ともにビールの値段は185円となっています。

では、その値段でどこまで電車に乗れたのでしょうか。

同じ時刻表の運賃のページです。

190円で45キロでした。
ということは、、東京から大船あたりかな。
高崎線方面だと北本か桶川。
総武線方面なら四街道。
常磐線なら取手。
中央線なら八王子。
だいたいこんなところでしょうか。
運賃にして800円ぐらいですね。

とすると、食堂車で飲むビール1本の値段が今の値段に近い気がしないでもありません。

同じメニューでカレーライスが180円ですから、まあ、そんなものでしょう。

では、駅弁はいったいいくらだったのか。

信越本線のページの下の欄にある駅弁のコーナー。
高崎駅のだるま弁当が200円。
横川の峠の釜めしも200円です。

だるま弁当も釜めしも現在は1100円。
消費税を引くと5倍ですね。

こうして見てみると面白いもんでしょう。
この間小学生たちにこの駅弁の値段を見せたら大喜びしてました。
まぁ、50年前の物価ですからね。

昭和44年の物価が今の5分の一。
昭和35年の物価が今の15分の一。
ということは、昭和35年から44年までの物価上昇率はものすごかったということになります。
だとすると、ドラマの中のビール130円はちと高いような気がするな。
80円か100円ぐらいじゃなかろうかしらん。
もっとも、今のようにお酒をがぶがぶ飲める時代じゃありませんでしたから、ビールなどは相対的に高いものだったのかもしれません。
特にお店に入って飲むと高かったのかな。
労働者は基本的には焼酎でしたからね。

NHKさんですからきちんと研究していらっしゃるようですが、古い資料や昔の映画のシーンなど証拠があるのかもしれません。

ところで、テレビを見ていてもう一つ気になったのが食事を終えた役者さんがお店を出ていくシーン。
立ち上がってカウンターの上に「お勘定、ここへ置くよ。」と言ってお金を置くのですが、そのお金がどうも小銭のようなんです。
この役者さん、ラーメン食べてビールも飲んでいましたから、お勘定の金額は200円にはなるでしょう。
今の200円とは価値観が違うのはもちろんですが、当時、200円を支払うとき、そのほとんどは小銭ではなくお札でした。
そう、百円札。

当時、200円もの飲食をしたら支払いは小銭じゃなくてお札を使うのが普通だったと思います。今の貨幣価値の15倍ですから200円は3000円ですからね。

「お勘定、ここに置くよ。」
と言ってポケットから小銭を出して支払う金額ではなかったはずです。
寅さんならしわくちゃのお札を出して「釣りはいらねえよ。取っときな」というようなシーンでしょう。

私が小学生のころまでは百円札が一般的でしたが、百円玉と50円玉が今の形になったのが昭和42年ごろ。
それまでは百円玉には鳥の絵が描いてあって、50円玉には穴がなく(穴が開いているのと開いていないのと2種類あって、今の50円玉よりももっと大きかった)、5円玉も国会議事堂の絵が描いてあって穴はありませんでした。

とまあ、ドラマのワンシーンからこんなことを考えてしまうのも時刻表を熟読してきた人間の性でしょうか。

「過ぎ去った過去は常にやさしい」という原則に従えば、大人だったら面白い時代だったのだろうなあと回想できますね。

昭和の時代はみんな貧乏だったから、2度と戻りたいとは思いませんが、思い出せることは幸せなんだと思います。