今から10年ほど前、妙高市役所が広く公募した「My信越本線ストーリー」。
様々な皆様方が信越本線の思い出を御寄稿いただきましたが、妙高市役所から「こういう文集があるんですよ。ぜひご一読ください。」といただきました。
本日はその3回目。
ほぼ原文のままでご紹介させていただきます。
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「新井駅は心の駅」
上越市 竹田功氏(60代)
私が所有するCDの中に歌謡曲が1枚だけある。
「就職列車に揺られて着いた、遠いあの夜を思い出す。
上野は、おいらの、心の駅だ・・・・・」
伊沢八郎の「ああ・上野駅」である。
私はこの曲を聴くたびに、目頭が熱くなり、胸が締め付けられるような気持ちになるのである。
今から50年ほど前、私が高校2年生の春休みに新井駅で体験した忘れられない出来事がある。
おかっぱ頭でセーラー服の少女が、上り列車の窓から、危険なほどに身を乗り出して、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、母親に手を振り何かを叫んでいる。
母親の方は、口元に手拭いを押し当て、もう一方の手を振りながら、列車と一緒にホームの外れまで走って行く。
東京方面へ就職する娘とそれを見送る母親の別れのシーンであった。
中学校を卒業したばかりの15歳の少女が、これからたった一人で、社会の荒波の中で生きていかなければならない不安と悲しみ。その娘のこれからの仕事の大変さや生活の厳しさが、痛いほどわかる母親のやり場のない切なさ。
それが、その場にいた私の心に、苦しいばかりに迫ってきたのである。
あの少女より2歳年上の自分が、親の脛をかじり、のうのうと高校生活を送っている。
私は何とも言えない恥ずかしさと後ろめたさに苛まれたことをはっきりと記憶している。
この時初めて私は自分自身を第三者的な目で、客観視できるようになったと思う。
自分も、もっと目的意識を持って生きなければという気持ちになっていた。
あの、新井駅頭での母娘の別れを目の当たりにしたことが、今日まで私が人の道を大きく踏み外すことなく生きてこられたきっかけになったことは確かである。
信越本線開通以来、数多くの人々が、あの新井駅に悲喜交々(ひきこもごも)の思いを残し、新しい人生へと旅立って行ったに違いない。
新井駅は私にとっても忘れることのできない心の駅である。
▲現在の新井駅ホーム。
この文集は今から10年前のものですから、御寄稿いただいた竹田功さんも70代になられていらっしゃるでしょうし、ここに書かれた少女も同年代になるのでしょう。
新幹線が開通しても、駅というのは出会いと別れの場所であり、その駅がその人の人生に大きな思い出になることは今も昔も変わりません。
そして、竹田さんのように、自分とは関係ない人々ではありますが、その姿を見て自分の人生に大きな影響を与えることもあるのでしょう。
鉄道と駅の物語。
素晴らしいお話ですね。
こういう企画をまとめていただいた当時の妙高市のご担当の方にも感謝です。
ということで、伊沢八郎さんの「ああ、上野駅」をどうぞ。
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