純粋公務員批判

今日は某県の県立高校の校長先生方の勉強会に参加させていただきました。

 

会場には校長先生ばかり約20名。

全員公務員。

 

私、学校の先生って昔から嫌いなんです。

そして公務員という人種も好かん。

 

そんなことは9年間も続いたいすみ鉄道社長ブログをお読みいただければ、十分ご承知いただいているはずなのですが、よく学校の先生方の勉強会からお声がかかる。

でもって、お声をおかけいただいた時に必ず申し上げるんです。

 

「私、学校の先生って嫌いなんですけど。公務員ってのも嫌いなんですけど。それでもよろしいのでしょうか?」

 

すると、皆さま、必ず「かまいません。むしろ、そういう方にいらしていただきたいのです。」と社交辞令。

 

今回もそういうお話。

 

でも、ちょっとだけ興味あったんです。

というのは、私は今年58歳になりましたが、校長先生ってのはだいたいにしてアガリのポジションですから、私もサラリーマンをやっていたら、つまりはそろそろアガリでございますので、多分同年代だろうなあと思ったから。

世間的には58歳って結構なおっさん、ていうかおじいさんの入口に立っているのですが、自分ではまだまだと思っている人がほとんどで、そういう人たちの集団って、他人ごとではありませんから興味があったのです。

 

そうして、小さな会場に約20名の校長先生方。

ここにいる人たちが全員校長先生だと考えると、軽いめまいというか吐き気がするわけですが、興味があったんで聞いてみたんです。

「昭和35年生まれの人、いらっしゃいますか?」って。

そしたら、7~8名の方が手を挙げられました。

 

ほらね。

やっぱりそうだ。

その7~8名以外の方は、多分、33年、34年、36年とそのあたりの生まれなんだろうなあ。

つまりみんな同世代。

サラリーマンのアガリのポジションは、やっぱりこういう人たちなんです。

 

私は、「学校の先生が嫌いで、公務員が嫌いです。」と宣言していますから、遠慮しないで何でも言うことにしてます。

まして、それでもいいから私に会いたいとおっしゃってくれる皆様というのは、勉強熱心で向上心が旺盛な方々でしょうから、私もできるだけ協力しなければならないという使命感もありますし。

お相手の先生方は私より優秀な皆様方ですから、私が好き勝手を論じているのを「おもろいやつ」と見てくれたのか、質問が出たんです。

 

「外から見た、公立高校の現状って、どう見えますか?」

 

う~ん、そういうことには触れないでおこうと思っていたんですが、質問されてしまったからには答えなければなりません。

それも真摯に。

まして、このところ我が家の夫婦の会話でもちきりなのは高校野球の選抜戦。

うちのカミさんに言わせると、「毎年同じような私立高校が出てくるのが面白くない。」というのが持論。

だから、こう言いました。

 

「今、高校野球の選抜が行われているけど、公立高校は勝てませんねえ。」

どうしてですかね。

「少子化で学校が廃校になる傾向がありますが、廃校になるのは公立高校ばかりで、私立高校はほとんど廃校になりませんよね。」

どうしてでしょうか。

いすみ鉄道沿線でも、少ない子供たちを、私立高校がバスを回してさらっていく。

だったら公立高校もバスを回してさらってくれば良いじゃないですか。

「でも、できませんよね。」

どうしてですか。

 

その答えは、公務員だからです。

私立高校だったら、校長先生と理事長先生が相談して方針がすぐ決まる。

だけど、公務員はそうはいかないんです。

それは、校長先生にそういう規則や方針を変えるという決定的な権限が与えられていないからです。

 

公務員というのはそういうシステムになっていて、つまりは現場の最高責任者である校長先生に決定権がない。

でも、私立高校の校長先生は決定できる。

この差なんです。

だから、校長先生が現場でどんなにがんばってお仕事をされていても、そんなことは関係ないんです。

公立学校が置かれている組織の仕組みを変えない限り私立には勝てません。

これが結論です。

 

だから私は4人の息子たち全員を私立大学の付属高校へ入れたのです。

大変でしたけど。

 

だって、片や私立の学校は小さな組織でも校長先生はきちんとした責任者です。1つの会社の代表取締役のようなものです。

だから自分で何でも決定できる。

ところが公立学校は、大きな会社の一営業所の所長にしかすぎませんから、すべて上に委ねなければ何も決定することができない。

これは人の問題ではなくて組織の問題です。

 

だから、学校にクーラーがなくて子供が命を落としたとか、小学生にもかかわらず10数キロのカバンを毎日持って通学しなければならないとか、あるいはいじめや自殺の問題など、起きているのはほとんど公立の学校で、私立の学校ではほとんど聞かない。モンスターペアレントの問題も、落ちこぼれの問題も昔から公立学校の話で、私立にはない。あるのかもしれないけれど事態が大きくなる前に改善されているんです。

 

自分が親だったら、自分の子供をどちらの学校に入れたいですか?

 

その答えが、今の公立高校にも出ているのではないでしょうか。

そして、そこのトップにいる校長先生はアガリのポジションですから、つまりは定年までの残り数年を大過なく過ごせれば、教師生活40年がきちんと締めくくれるわけですからね。

校長先生になるぐらいですから、若いころから仕事熱心で、希望に燃えて理想の教育者を目指して努力されていらしたんでしょうけど、そういう人でも登り詰めればホッとして、それがアガリのポジションなのですから、もし公立高校を改革するというのであれば、先生の研修などではなくて、そういう組織構造を変えなければどうにもなりません。

 

ひところ、民間人から公募した校長先生が公立高校で頑張っていた時期がありました。

ところが、そうやって頑張ったとしても、実際問題として営業所長程度ですから、上の顔色を見なければ何もできないわけで、つまりは公務員の世界というのは、自分たちの仕事のやり方や組織の構造を変える努力をしないで、その所だけは守りながら、表に立つところだけ民間からの公募を入れて活性化に努めますなんてやっているわけで、公務員の「上の人間」というのはそういう人たちなのですが、その下の課長さんたちも移動という名ですぐにいなくなる。だから、そういう仕事のやり方の組織と人間を根本から変えなければ、どうにもならないんです。

 

でも、公務員ってのは「上の人間」はだいたい皆さんアガリのポジションですから、教育を統括する県の部長職などという自称偉い人たちも、公務員としての最後の数年を大過なく過ごせれば…という人であることには変わりなく、いくら部長になるまではそこそこ気の効いた優秀な職員だったかもしれないけれど、上りつめて部長になった途端にアガリのポジションですから、皆さん最後の数年をそのようにお過ごしになられるわけで、そういう状態ですから高等学校の改革などは進展するわけもなく、そのさらに上の偉い人は自分の息子を何とか医学部に入れようと、策を講じる。つまりはこれがこの国の教育であり、公務員が牛耳っている世界は、自浄努力などの欠片もない、だいたいどこも同じようなものなのです。

 

私などは、何年かやっているうちにそういう「構造」が見えてきてしまいましたから、「おかしいんじゃないですか?」なんて言っちゃうわけです。そうなると今度は「あいつは何を言ってるんだ。」ということになりますからね。

まして、「県南地域の観光振興のために」などという話をすると、自分たちの仕事の脅威になる可能性も出てくるわけですから、アガリのポジションの人とその部下たちは、必死になって自分たちのやり方を守ろうとする。何が正しくて、どうすれば地域住民のためになるかということよりも、自分たちの仕事のやり方と立場を守ることが一番大切な人たちですから、批判に対してはことごとく潰そうとする。

 

こういうところが、つまりは真実でありますから、私は「純粋公務員批判」なのであり、これが私が9年間で学んだ構造哲学の世界であります。

 

かくいう私もそのうち潰されますから、皆さん見ていてくださいね。