私の発明品

「いすみ鉄道社長はアイデアマンだ。」

 

私が就任した9年前から、いろいろなところでよくそう言われています。

でも、私はあまりそう呼ばれるのは好きではありません。

「アイデアマン」と呼ばれると、なんだか「思いつき」で生きているように言われている感じで、あまり好きではありません。

なんとなくその場限りの思いつきで、難局を乗り越えているように聞こえるから、HAPPYは気持ちにはなれませんよね。

 

でもまあ、そんな私でも、確かに思いつきで物事を乗り切ることもよくある話で、そういう場合は「ひらめき」と呼んでいただきたいと思うのでありますが、私が一番お気に入りの「ひらめき」、いや、「アイデア」、いや、「思いつき」はこれであります。

 

 

わかりますかねえ。

レストラン列車にご乗車いただいた方ならご存知だと思いますが、実はいすみ鉄道がレストラン列車を始めるときに、肥薩おれんじ鉄道というところに視察に行ったのです。肥薩おれんじ鉄道は、「おれんじ食堂」という食堂専用観光列車を走らせ始めました。ちょうど今から5年前、2013年春のことです。実は私も頭の中にすでに食堂車の構想がありまして、肥薩おれんじ鉄道の当時の古木社長さんと仲が良かったものですから、早速「パクリに行きますよ。」ということで、視察に出かけました。

私の一番の懸念材料は、走行中の列車の中でどのようにすればグラスが倒れずにレストランができるかということでした。当時はまだ「ななつ星」も運行開始前で秘密のベールに包まれていて、四季島も瑞風も影も形もありませんでした。おれんじ鉄道さんの「おれんじ食堂」が食堂車の復活のトップランナーだったのです。

でもって、実際に乗ってみると、ワイングラスの下に特殊なコースターが敷いてあって、「いろいろ実験したんですが、このコースターが一番でした。」と担当の方がおっしゃいます。いろいろなコースターとワイングラスを組み合わせて、走行中の車内で強めのブレーキを掛けたりして、どれが倒れるか倒れないかの実験をして決めたそうなんです。

 

「う~ん、微妙だなあ。」

と私は思いました。

なぜならば、おれんじ鉄道さんは旧鹿児島本線で、線路はコンクリート枕木でビシッと固められていて、走行中の揺れがいすみ鉄道とは比べ物にならないほど静かですから、そのおれんじ鉄道でOKだったとしても、いすみ鉄道ではそのまま使えないんです。

 

茂原のレストラン「ペッシェ・アズーロ」の池田シェフは、何とか新しいことにチャレンジしようと、すでにメニューなども試行錯誤してくれていたんですが、いかんせんワイングラスが安定しなければ、お客様はフォークとナイフを使って優雅な気分で食事に集中できません。

 

困ったなあ、どうしようかなあ。

 

ずっとずっと、来る日も来る日も、寝ても覚めても、通勤の車の中でも考え続けました。

 

そうしたら人間というのは不思議なもので、一生懸命頑張っていると、ある時神様が降りてきて耳元でささやいてくれる瞬間があるんです。

つまり、気付きを与えてくれる瞬間です。

 

ふと、気付いたんです。

 

ああ、そうだ。こうすればよいんだ、と。

 

それがこれなんです。

 

ダンボールで簡単な試作品を作って、応援団の副団長の麻生さんに、「これと同じものを作ってくれ」と頼みました。

応援団の副団長の麻生さんは大工さんですから、木工は得意中の得意。

 

「社長、うまいこと考えたなあ。」

 

と言って、あっという間に作ってくれました。

 

ワイングラスが、このようにして収まる仕組みです。

これなら大きく揺れたって大丈夫です。

 

私は自分が天才かと思いました。(笑)

 

大きな穴の方はこうやってグラスを置きます。

手前の小さな穴は、日本酒の冷酒グラスやお猪口を置くところです。

 

これならグラスが2つになっても、揺れて倒れる心配はありませんから、お客様は優雅にフォークとナイフでお食事をお楽しみいただけるというものです。

 

どうですか、これ?

 

旧国鉄の支線で、線路の状態は他の路線に比べても規格が低いですから、どうしても列車の揺れが大きくなります。

そんないすみ鉄道でも、あきらめずに努力し続ければ、必ず道は開けるのです。

 

やっぱり私は天才か・・・

 

1パーセントのひらめきと、99パーセントの汗で生きているのであります。