「鉄路」へのときめき

「鉄道はロマンだ」という熱い思いを写真に込めた、鉄道愛好家53人による国内外今昔鉄道情景写真展。

 

 

本日は我孫子市民プラザにて行われていましたこちらの写真展にお邪魔いたしました。

鉄道に熱い思いを抱いている愛好家の先輩方の撮影された昭和20年代から最近までの作品が展示されていました。

本当はもっと早く見に行きたかったんですが、本日最終日の午後に何とかお邪魔することができました。

 

▲成田線のC58。佐倉機関区の機関車が成田線の上野から我孫子経由で成田へ向かう列車をけん引していました。

 

▲こちらは昭和48年の電化完成祝賀式典の様子です。

 

 

▲場所柄、会場の入口付近には成田線や我孫子付近の作品が展示されていましたが、鉄道情景写真展ですから、こんな立ち食いそば屋とキハのシーンなども。実に懐かしい味わいがあります。

 

▲本当に素晴らしい作品がたくさん展示されていました。

昭和30年代から40年代、中には20年代に撮影された作品もありますが、これは実に貴重な資料です。

 

 

主催者のお一人、寺田牧夫さんです。

私より10歳年上の寺田さんは、つまりは私が小学生の時に大学生でしたから、私が覚えたての時刻表を片手に、「シロク二・ジューレン」などと思っていた頃、実際にそのC62重連を北の大地で撮影されていた方。私の憧れの世代を代表する写真家の方です。

御縁をいただきまして、昨今いろいろ教えていただいているのですが、常磐線の平機関区のC62なども撮影されていらっしゃるという、本当にうらやましい経験をお持ちの先輩です。

 

私は、こういう写真を拝見するにつけ、いつもそのバックグラウンドには語りきれないような経験があるはずで、そういう経験は、実は大変貴重な鉄道資料なのです。

この写真展のタイトルである「鉄路へのときめき」は、寺田さんたちが半世紀以上にわたって持ち続けてきた情熱であるわけですが、それって、実は私も同じ思いを持っているつもりですし、若い人たちだって同じはずですから、何とか後世につないでいけると思いますし、行かなければ、貴重な資料がどんどん失われて行くことになるのです。

 

私は航空会社に勤務していましたからわかるのですが、航空会社って、日々の運航に関してはしっかり行っていますが、では、「昭和50年4月2日の51便の機体番号は何番でしたか?」というような質問を受けた場合に、きちんと答えられるような資料は保管されていないんです。鉄道も同じだと思います。でも、意外と市井の研究者や趣味人は、そういう記録を持っていたりする。ということは、彼らの「ときめき」が、大変貴重な資料になっているのです。

テレビ局だって、「ひょっこりひょうたん島」の放送シーンやストーリーなど記録してなくて、実はファンが克明に記録していたり持っていたりするのと同じですね。

そして、今、ともすれば、こういう貴重な資料がどんどん消えて行っているのです。

だから、そういうものをきちんと後世に伝えるということを、今やらないといけないのだと私は考えています。

 

さてさて、寺田さんたち大先輩の活動とは別のお話になりますが、私の友人たちが、その貴重な交通資料を後世に伝えて行こうという活動を行っています。

 

「明治からの膨大な交通に関わる歴史資料を公開し、後世に残す。」

 

というクラウドファンディングを交通文化振興財団がただいま開催中です。

 

かれこれ50年近くの歴史がある財団ですが、鉄道に限らず様々な交通資料を保存し後世に伝える活動をしています。

 

この募集はあと2日。もう少しのところまで来ています。

ご興味がおありの方や趣旨にご賛同いただける方はぜひご協力をお願いしたいと思います。

 

交通を文化としてとらえ、貴重な資料を後世に伝える。

こういうことは、小さなグループから始めて、組織化していくことができれば、記録した先輩の皆様方の「ときめき」も後世に伝えることができるのではないでしょうか。

 

寺田さん、本日ご挨拶をさせていただきました諸先輩方、大変貴重なお話をお伺いできましたことを感謝いたします。

近い将来、もう少しじっくりとお話をお聞かせいただくチャンスをください。

私は、このような作品展が常設できるような場所が欲しいと考えております。

 

ありがとうございました。

 

 

ちなみに、昭和50年4月2日のNH51便(HND-SPK)はL-1011で、JA8509でございました。

これは私の記録ですけどね。