小池さんの都民ファーストの会が都議選で圧勝して、どうしてなんだろうかといろいろ考えてみたのですが、自民党がどうだとか、民進党がどうだとか、そういう政治の手法の分析はマスコミの皆様方に任せるとして、私はなんとなくイメージで勝ったのではないかと、ふと思ってみたりして。
女性の政治家で、今、いろいろマスコミを賑わせているのは、稲田さんと小池さんと蓮舫さんだと思うのですが、この3人って、女性としてのタイプが全く違いますね。
稲田さんは、どちらかというと、可愛いらしいタイプで、おそらく学生時代から女性のかよわさを前に出すスタイルだったのでしょう。悪く言えば、女性としての特性を武器にするタイプと言えるかもしれません。
そんな稲田さんに対して、蓮舫さんは真逆でしょうか。
男と対等に張り合って、絶対に負けたくないタイプ。
女性として見られることに抵抗があって、女性であるところを表に出したくない。
にっこり笑って許してもらうようなことは絶対にしたくない。だから声を枯らして青筋立てて、主張している。
思い起こせば、その昔はセクシーアイドルで週刊誌のグラビアお飾っていたのに。
よほどいやなことでもあったのでしょうか。
何となく、何かに対する反骨心で立ち向かっているような感じに見えるのです。
そして、小池さん。
実に上手に、女性の優しさ、柔らかさと、男性的なロジカルな部分とリーダーシップの両方を持ち合わせています。
このあたりが実に巧みですね。
聡明なのは当たり前なんですが、その聡明さを表に出していない。
主張しなくてもにじみ出ている。
多分人格的なものでしょうね。
ブリっ子して笑顔で許してもらうタイプと、とことんまで男と張り合うタイプから見ると、スマートですよね。
このあたりが、人気の理由なのかもしれません。
でも、やはり恐ろしいのは、そういう小池さんの聡明でソフトで、それでいてきちんと論破する姿は実にすがすがしくてあっ晴れなんですが、その勢いで投票してしまうっていうのは良くないと思うんです。
選挙って、立候補している政治家の方々の主義主張や、どういうことを目指しているのかということをきちんと聞いて、理解して、その人に一票を入れるものだと思うからで、その時の人気や勢いで入れるようなことはやっぱりよくない。
なぜなら、昨今の選挙はどうしてもそういう方向になって来ていて、アメリカの大統領選がその良い例ですが、直前のスキャンダルリークでどうにでもなってしまうからです。
つまり、マスコミが選挙を操作できる。
真偽など関係なく、スキャンダルを流しただけで、世の中の流れがワーッと動いてしまう。その真偽を確かめる時間もないまま投票日を迎えてしまい、決まってしまうのです。
最近はインターネットの時代ですから、そういう情報操作が行われやすくなっていて、インターネット世代はあまり選挙のことを知らない世代ですから、イメージ戦略にすぐに乗っかって、ネットの情報を鵜呑みにして投票所に行ってしまうんです。
つまり浮動票というやつね。
政治について勉強もしてなくて、何も考えてなくて、そういう人がイメージだけで投票してしまうわけで、今回の都議選は、なんだかそういう怖さが露呈したのではないかと私は思うのです。
そして、そういう意味では、一票の重さって、本当は平等ではないのかもしれない。
インテリゲンチャの一票と、田舎のおじいさんおばあちゃんの一票と、そこらへんでたむろしているにーちゃん、ねーちゃんの一票が同じだとすれば、怪文書流したりネットで情報流して、数集めた方が勝ちになりますからね。それは危険だと思います。
実はこのあたりが民主主義の限界ということは、今では世界的に言われ始めていることですから、真剣に考える必要があると私は思います。
まあ、インターネットなど関係ない田舎の選挙でも、怪文書なんかをバンバン出すやり方が昔からありますから、つまりはこの国の民主主義とはそういうものなのかもしれませんね。
この国の民主主義は与えられたものであって、国民が勝ち取ったものではない。
そこが他の先進国との違いでしょうか。
だから国民がありがたさをわかっていないのかもしれません。
さてさて、稲田さん、小池さん、蓮舫さんと3つのタイプの女性政治家を挙げさせていただきましたが、実は忘れてはいけない女性政治家のタイプがもう一つありまして。
「このハゲー! お前は私の気持ちがわかるか~!」
ってタイプね。
天下国家を論じる政治家の先生としては、意外に必要な性格かもしれませんよ。
信長だって秀吉だって、こんな感じの性格だったんじゃないでしょうか。
そして、こういう女性が嫌いじゃないという男性も結構いると思います。
私の近くにも2~3人いますから。
私は政治家には絶対になりませんし、興味もありませんが、有権者から見たら、誰に投票したらよいかという判断材料って、意外と単純なものだということを戦略に入れないと、マニフェストとか、議論とかじゃあ世の中評価されない時代になってきているということは間違いありません。
そして、マスコミの情報操作や偏向報道でどうにでもなるというのも事実ですから、政治家の先生がマスコミを批判する気持ちもわからないでもありません。
批判する人は、「じゃあ、誰がやるのか。」「どうするのか。」ということをきちんと示さないと、そのうち通用しなくなるということも、気になっているんです。
なぜならば、私もその点では同じ立場ですからね。
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