関東地方のちびっ子たちは明日から夏休みですね。
通信簿をもらって、良くも悪くも、いずれにしても夏休み。
いいなあ。
今頃が一番楽しい時かな。
おじさんたちだって、40年か50年ぐらい前は、皆ちびっ子で、夏休みが大好きでしたよ。
ほら、いすみ鉄道社長が小学校6年生だった時の夏休み。
今から44年も前ですが、子供の頃の楽しい思い出はしっかりと覚えています。
東京駅から特急「わかしお」に乗って勝浦のおばあちゃんちへ行きました。
今は、ソフトの部分が大きく発達する時代ですが、私の子供の頃はハードが大きく変化する時代でした。
例えば千葉の汽車も、小学校3年生か4年生の時は蒸気機関車が引く列車が走っていたのが、蒸気機関車がなくなってディーゼルカーになったかと思うと、小学校6年生の時には東京地下駅が完成して、冷房が効いた特急列車が走り始めるという、わずか数年でめまぐるしく見た目や外見などのハードが性能向上していった時代です。
5年生の時までは、勝浦のおばあちゃんちへ行くのに、両国駅からキハに乗って、暑い暑いと言いながら、冷凍ミカンがおいしいなあ、と思っていたのですが、翌年には新型特急電車に当時日本一深いところにできた東京地下駅から乗っていったのですから、子供ながらに「すごいことになったなあ。」と思ったものです。
窓が開かないからお弁当もアイスも買えない。
同級生の女の子が不思議な顔をして私に尋ねたのを覚えています。
「ねえ、鳥塚君、特急列車って窓が開かないんでしょう。息できなくならないの?」
窓が開かない電車に何時間も乗っていたら窒息すると思っていたようです。
エアーコンディッションなどと言う言葉もありませんでしたから、そんなことを真剣に考えていたのが当時の日本人だったのです。
上の写真はクリックすると大きくなりますが、電車が着くたびにたくさんのお客さんが下りてきたのが、当時は当たり前だったんですね。
今、房総半島のおじいさんたちが、二言目には「昔はすごかったんだぞ。」と言うのは、この時代のことですよ。
でも、昔話ばかりしていたのでは時代の流れに追いつくことができません。
取り残されるばかりです。
地域ににぎわいを取り戻そうと、何年か前には鉄道会社のおじさんたちが、こういう電車を走らせてくれました。
でも、残念ながらこの電車はもうありません。
考えてみたら私が6年生だった時にピカピカの新型だった特急電車も、急行電車ももうありません。
でも、不思議なことに、その前に無くなっていたはずのキハが、今も房総半島で走っています。
地域ににぎわいを取り戻そうと考えているおじさんたちが、この夏休みはいすみ鉄道のキハを使って、きっと思い出に残るような何かやってくれると思います。
今のちびっ子たちも、昔のちびっ子たちも、この夏休みはいすみ鉄道で楽しい思い出を作りましょう。
この夏も、いすみ鉄道にご注目ください。
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