一杯のかけそば。

この間の日曜日、お天気が今一つなので、いすみ鉄道の雨の日スペシャルとしてこのような列車が走りました。

ヘッドマークの台座だけを取り付けた状態で走る列車です。
いすみ鉄道の雨の日スペシャルは、雨が降った日にはいつもと違うヘッドマークを取り付けますよ、という雨の日限定のサービスなのですが、これではヘッドマークがついていませんね。
これで良いのですかと聞くと、「はい、これが素晴らしいんです。」とみなさんおっしゃるのです。
どうしてなんですか? と尋ねると、こういう列車があったというのです。

▲JRになって最初の頃に、走っていた列車です。
急行列車として終点に着いた列車が、折り返しで普通列車に使用されたりすると、ヘッドマークの台座だけ残して、またはヘッドマークをパタンと閉じただけで、こうやって走っていたというのです。(写真提供 吉田智和さん)
だから、いすみ鉄道の観光急行列車も、朝一番の快速列車だけは、こうやって台座だけを取り付けて走らせる姿が見たかったのだということらしいです。
「なるほど、そういうことだったんですね。」
国鉄末期には職場の規律が乱れ、仕事をするのが面倒臭いという空気が職場に漂っていました。
だから、九州方面へ行くブルートレインからもヘッドマークが取り外されました。
いちいちヘッドマークを付ける人員を配置できない、という理由でしたが、「やりたくない。」「面倒くさい。」というだけの話です。私たちのあこがれのブルートレインも、こんな連中に取り扱わせていたら台無しにされてしまう。若かった私はそんな風に思って憤りを感じていました。だから、台座はそのままで、ヘッドマークだけを付けない列車などというのは、国鉄時代やJR初期に見られた、「やりたくない感満載」の走らせてやってる、乗せてやってるというイメージが先に来てイライラするのですが、それは55歳の私にとってイライラするということであって、40代の人たちからしてみたら、子供のころに見た懐かしい列車の貴重な姿ということなのです。
「へ~、そうなんだ。」
私は感心するとともに、こういうところにもビジネスチャンスがあるのだなと気が付きました。
やりたくない感満載といえば、こんな思い出があります。
1980年代後半だったと思いますが、2人の子供(長男と次男)を連れて乗り鉄の旅に出たことがあります。
その時に、3人で立ち食いそばを食べようという話になりました。
国鉄からJRになって1年か2年の頃でした。
立ち食いそば屋さんの横に自動販売機があって、そこで食券を購入するスタイルでしたが、1枚目の食券を購入した段階で機械にトラブルが発生して動かなくなってしまいました。
お店のおじさんにその旨を伝えると、おじさんは機械を見て、「ああ、だめだ。壊れてしまった。機械が壊れたから、今日はもう終わりだ。」と言うのです。
京都駅の階段の下あたりにあった立ち食い蕎麦屋さんでのことです。
私は、「じゃあ、現金で払うから。」と言ったのですが、「だめだめ、機械じゃないと。現金は取り扱えない。」と言います。
でも私たちは3人で、食券は1枚。子供二人はお腹を減らしています。
他の店に行こうと思って、私は「じゃあ、この1枚払い戻して。僕たちは3人だから。」と言いました。
すると、おじさんは「買ったんだから、払い戻しできないよ。」と言って、天ぷらそばだったか肉そばだったか忘れましたが、「さっさと食べろ。」と言わんばかりの勢いで、そばの丼をカウンターの上に置きました。
私は、その1杯のそばを、小学生と幼稚園生だった2人の子供にかわるがわる食べさせました。
2人の子供はにっこり笑って「お父さん、おいしいね。」と言ってくれたのが唯一の救いでした。
これが国鉄のサービスというものでした。
おそらく、そのおじさんはついこの間まで、電車か機関車を運転していた人なんでしょうね。
そして不本意ながら配置転換を受け、仕方なしに駅の立ち食いそば屋のおやじになった。
なりたくてなったわけでもないし、冗談じゃないよ。なんで俺がこんなことをやらなければならないんだ。
国鉄末期からJRの初期にかけては全国でこのようなやる気のないおじさんたちが、大量発生し、そういう姿を駅構内で目の当たりにしたものです。
機械が壊れたから今日はソバ屋は閉店。
現金では取り扱えない。
きっと職場の規律が崩壊していた時期でしたから、直接お金を触らせてもらえなかったんでしょう。
可愛そうな人たちです。
そして、その可愛そうな職員が振りまく毒を、利用者である国民が、「あいつらはしょうがないよ。」と言う目で見ていた時代だったと思います。
私も、こういう人間と話をしても仕方ないからと、子供たちにそばを食べさせて、一刻も早くその場を立ち去ろうと考えました。
確か28歳ぐらいの時です。
それだけ若い年で、ましてお腹を空かせた子供たちがいるのですから、ふつうなら「ふざけるな。」と文句の一つも出たと思うのですが、そういう気にもなれない時代でした。
こいつらには何を言っても始まらない。「だめだこりゃ。」というギャグその通りの感じでした。
そして、昨日のヘッドマークは、私にとって、そういう手抜き国鉄時代の象徴なのですが、年代が変わると、それが魅力になるわけですから、不思議な感じがするものです。
何年か前に、本日のタイトルと同じ本が出版されたときに、私はこの時の話を思い出しましたが、国民全体がやる気のない国鉄職員を軽蔑し、ある意味、同情していた時代でありました。
とりあえず、懐かしい、ということにしておきたいと思います。
あっ、うちの会社にもその当時の化石が残っている気がする。
「やる気ないオーラ」を振りまくことだけは、きちんとやりながら。