異国の町で笑顔を乗せて。

奈良県からいすみ鉄道を応援してくれているAさんという方が、写真を送ってきてくれました。
Aさんはミャンマーとの間で文化的交流をされていらっしゃる方ですが、先日、ミャンマーで撮影されたという写真です。



▲クリックすると拡大します。

いすみ鉄道からミャンマーへ届けられたいすみ201号車です。
先日の9月21日の撮影です。
ミャンマーでの形式、車号はRBE.25.108というらしいですが、貫通扉にミャンマー国鉄のマークはあるものの、いすみ鉄道カラーのまま使用されています。
でも、よく見ると送り出した時よりもきれいになっていますよ。
黄色の部分をきちんと塗りなおしてくれているようです。
ちょっと拡大してみましたが、形式や定員、検査表記などもそのまま。
この写真を見るだけで、とても大切に使ってもらっていることがわかります。
Aさんの話によると、貴賓車として使用されているのもあるようです。
6年前の2009年に私が社長に就任した時には、いすみ鉄道には開業時からのいすみ200型が7両在籍していました。
そのうちの2両を地元で保存していただき、4両をミャンマーへお嫁入りさせることができました。
今、いすみ鉄道には206号車が残っていますが、この車両はいすみ鉄道をずっと支えてきてくれた車両として、できれば自社で保存したいと考えています。(検査はあと2年ほど残っていますから、それまでは活躍可能です。)
私は、自分が責任者でいる間は、1両も車両を解体しないと決めて、この6年間置き換え計画を進めてきました。
昨日お披露目して運転開始した新型車両のキハ20で、その置き換えが終了しました。
観光用として、できるだけ少ない投資で効果が上がるようにと、国鉄形のキハ52とキハ28を導入しました。本当ならば解体されていた車両が、今、元気で皆さんの笑顔を乗せて走っています。
縁あって久留里線のキハ30を貰い受けて、国吉駅に展示してあります。
「どうして車両ばかり買うんだ。」という声もあるようですが、昭和40年代までは気動車王国と呼ばれていた千葉の鉄道の歴史を考えた場合、国鉄形の一般形(キハ52)、通勤形(キハ30)、急行形(キハ28)を代表する形式が、解体寸前で残っていたのですから、千葉県を代表する旧国鉄の非電化路線としては、保存する価値があると考えて、そこからお金を生み出すシステムを作って、今日に至ります。単なる保存ではなくて、そこからお金を生み出すシステムを考えて、持続可能な営業システムを作ることで、きちんと動態保存できるようにしました。
国鉄時代を知らない若い人たちが、お父さんやお爺さんなどの年配の人たちとその車両に乗って旅をして、同じ話題で会話ができるのを、私は素晴らしいと考えています。
そして今、遠い異国のミャンマーの地で、たくさんの人の笑顔を乗せていすみ鉄道の車両が走っているのですから、とてもありがたいことだと思います。




Aさんが撮影したミャンマーの子どもたち。
タナカと呼ばれる白粉(オシロイ)を塗って、みんな素朴な笑顔です。
この子たちが、10年後、20年後に大人になって、黄色い列車の思い出が彼らの心に残るとしたら、それはとても大きなことだと思います。
私の頭の中には今でも蒸気機関車や国鉄形電車が走っているように、彼らの思い出の中にいすみ鉄道の黄色い列車が残るわけですからね。

昨日のキハ20のデビューを書いていただきました本日の千葉日報の記事です。
この記事とAさんからの写真を拝見して、今夜はなんだか大きな仕事がまたひとつ終わったような達成感に包まれています。
Aさん、素敵な写真をありがとうございました。