73系電車のこと

いすみ鉄道によく遊びに来てくれるH君。
まだ20代前半の彼は東京の電鉄会社に勤める青年ですが、最近73系旧型国電に凝っているらしいのです。
73系電車とは先日のクリスマスのブログで一番最後に紹介した茶色いチョコレート電車で、私が小学生のころは総武線や京浜東北線、常磐線でふつうに走っていた電車です。中学生になると都心から消えて、成田線や外房線、横浜線など、少し遠くへ行ってしまい、高校生になると仙石線や広島の可部線など、都落ちしてどんどん遠くへ行ってしまったのがこの電車です。

この電車が作られた昭和20年代は、毎年のように新しい技術が誕生して世の中が戦後復興に驀進していた時代です。その頃の日本は、今のように円借款などと言って外国にお金を貸してあげることなどできるはずもなく、逆に外国からお金を借りている状態でしたから、国鉄も復興に向けての旺盛な輸送需要をこなすのに精一杯で、手持ちの車両を何とかやりくりしてしのいでいた時代で、電車の製造も毎年少しずつ増備していったのですが、技術革新に伴い、同じ形式の電車でも毎年設計変更されて、いろいろな形の電車が誕生していた時代でもあります。
その当時の代表形式がこの73系電車で、昭和28年製と29年製、30年製で、同じ電車でも顔かたちが違うという大変興味深い形態分類ができる形式なのです。
H君は今、この雑多でバラエティーに富んだ73系に興味があるらしく、Nゲージの車両をいろいろコレクションしているようで、先日、ドアの形が1つ1つ違う電車があるよと言ったら、「どうして? どのように違うの?」と質問されましたので、手持ちの写真を引っ張り出してみました。


[:up:] 青梅線の73系電車の先頭車、クハ79です。
この車両は当時のクハ79の中でもっとも初期のスタイルだったと思います。
運転席の窓ガラスが3枚で木枠です。向かって左の窓ガラスは開くようになっていますね。

[:up:] こちらはその次のスタイル。
運転席の窓ガラスがHゴムになっています。
撮影は昭和47年4月のゴールデンウイーク初日。
当時の国鉄はこの時期は春闘で、毎年このように電車にビラや文字が書かれていました。
撮影する側にとって見たらがっかりですよね。

[:up:] その次がこちら。電化直後の昭和48年1月の外房線普通列車です。
運転席の3枚窓が一体化されたようで、上部が少し内側にへこんでいる形状です。
このあたりまで来ると、なんとなく101系登場の予感がすると思いませんか?
ヘッドライトが屋根に付いているのが初期型の名残のようですね。
上のテレカの電車もこのタイプです。

[:up:] そしてこちらがその次のスタイル。
ヘッドライトがおでこに埋め込まれました。
ここまで来ると、もう101系の顔に近いですよね。
ただ、まだ行先表示が板をはめ込む形です。
ここまでの電車は木造電車でしたが、この後、車体全体を今のように金属で作る「全金車」(920番台)という形式が登場し、車体側面の窓の上と下に補強の帯がないツルツルのチョコレート電車が蛍光灯付で登場しました。(写真はありません。)

H君が気にしているドアの形がいろいろある電車というのがこれで、1番目のドアと2番目のドアの窓の形が違うのがお分かりいただけますでしょうか。
ストライキの落書きとビラで、ドアの窓下部分が良く見えませんが、ここにも補強の凹凸があったりなかったりで、子供ながらにも面白いと思いました。
73系電車の3段窓が上下に開いている様子も見えると思います。
実はこの写真を撮影した1972年~73年にかけては、私は小学校6年生だったのですが、何で小学生のガキが特急列車じゃなくて、こんなボロい旧国なんか写していたのかというと、それは、友達のお兄さんの影響なんです。
その方は私より5歳年上でしたから、当時高校2年生で、学校などほとんど行かずにアルバイトして、貯まったお金で日本全国SLの写真を撮りに歩いていた方で、私も何度も一緒に連れて行ってもらいましたが、こちらは小学生ですからそう頻繁に行かれるわけありません。まあ、せいぜい3~4回に1回程度お供させてもらうわけですが、「僕も一緒に行きたいなあ。」と付きまとう小学生の私に向かって、彼はこう言ったのです。
「トリヅカ、お前さあ、蒸機もそうだけど、今撮るんだったら旧型国電だぞ。だんだん数が減ってきて、そのうちいなくなるんだからな。」
つまり、将来的に廃止される車両を、今まだ人気がないうちから撮影しておけ、ということなのです。
そして、彼が連れて行ってくれたのが青梅線だったのです。
だから、これらの写真は小学6年のガキだった私が撮影したものですから、大した写真ではないわけですが、それでも、クハ79のいろいろな顔を写しているところを見ると、当時からそれなりに考えて撮影していたんだなあと思います。何しろフィルムは貴重品でしたからね。
このように考えると、自分が今何をしたら良いか、その時点で判断できるようになりますから、中学生の時はとりあえずSLを追いかけまわしましたが、中学3年でSLが全廃すると、高校時代は食堂車でアルバイトしながら旧型客車の列車を乗り回し、大人になってからはどこへ行くにもブルートレインに乗り、10系から始まり、20系、14系、24系と各種寝台車両にさんざん乗りましたし、自分でビデオ映像を作るようになると、165系、455系などの国鉄急行形はもちろん、キハ181や485ボンネットなど、廃止がうわさされるはるか以前から撮影して記録してきましたから、今、いよいよブルトレが廃止されようというこの時期にも、自分的には何も後悔することはありませんし、いまさら無理して乗ろうとも思わないのであります。
いすみ鉄道で、なぜ今、キハ52とキハ28とキハ30が走っているのかを考えた時に、そういう子どもが大きくなったのであれば、当然だと思いませんか?
だから私は、まだ20代前半のH君のような人たちが、いすみ鉄道に通い詰めて、昭和の国鉄形車両を思う存分楽しんでくれるような経験を持てば、20年後30年後の日本は、面白い世の中になるのではないかと、このように考えるのでございます。
どうだ、お前ら、まいったか!

[:up:] クモハ73全金先頭車化改造車。1972-4-29 奥多摩駅。