台湾国鉄「集集線」訪問

交通新聞社の雑誌「鉄道ダイヤ情報」の助川編集長といすみ鉄道社長の私が企画してご案内する「台湾鉄道三昧の旅」で台湾に来ておりますが、昨日はいすみ鉄道が姉妹鉄道締結した台湾南部のローカル線「集集線」に約20名様のお客様をお連れいたしました。
集集線は台湾南投県の二水駅から分岐する29kmのローカル線で、昭和の初期の日本統治時代にダム建設、発電所建設のための物資の輸送と木材運搬などのために建設された路線ですが、自動車や道路が発達した今、建設当初の目的はすでに終了しているといえる鉄道です。
日本もいわゆる支線という本線から分岐する路線は昭和の時代に「いらない」と言われ、次々と廃止になりましたが、いすみ鉄道もその一つで、国鉄木原線が廃止になるときに、地元の皆さん方がバスじゃだめだから何とか鉄道で残そうと第3セクター鉄道を立ち上げたのがスタートになっています。
日本では、昭和の末期から今に至るまで、「バス転換」というのがお役人様の合言葉になっていて、線路をはがしてバスにしてきて、その結果として今、地方がダメになっていると私はかねがね思っていますが、台湾では、たとえ日本が作ったものであっても、廃止するのではなくて、別の利用方法があるのではないか。そう考えて10年ほど前に、それまでの廃止議論をやめて、観光路線として使えるのではないかと考え方を変えて、観光鉄道化を推し進めてきました。
台湾に残るローカル支線のうち、平渓線、集集線、内湾線の3路線は、元は石炭積み出しなどの路線でしたが、廃止されることなく、今では観光路線として立派に活用されていて、沿線もにぎわっているわけで、私はこういう台湾のローカル線の現状を見るにつけ、「日本人は台湾人から学ぶことがたくさんあるのではないだろうか。」と考えて、姉妹鉄道の締結をお願いしたのですが、実は台湾という国は10年ほど前までは鉄道は軍事施設と考えられていましたから、観光列車どころか、鉄道の写真を撮影することすら禁止されていて、ホームで列車にカメラを向けていると駅員が飛んできて「誰の許可で撮影してるんだ!」と怒られた経験が私にもありますが、台湾鉄道撮影の先輩方に聞くと、昔は警官に連れていかれてフィルムを取り上げられたよ、というほど鉄道趣味とは無縁のところだったのです。
それが、わずか10年ほどの間に観光鉄道化で鉄道はもちろんですが駅周辺までとてもにぎわうようになったわけですから、少子高齢化で過疎化が進む沿線を抱えるローカル線としては、「この方法は勉強させていただく価値がある。」と考えているわけです。
そんなことで、さっそくツアーに組み込んで、日本の鉄道ファンの皆様方をお連れしたんですが、SLが走るわけでもなく、駅に博物館があるわけでもないような、ふつうのディーゼルカーの支線がにぎわっている姿をご覧いただいて、「へ~不思議だなあ。」と思っていただいた次第なのです。

[:up:]集集線の始発駅二水に向かう列車の中でご参加いただいた皆様から用意した姉妹鉄道締結記念のヘッドマークにサインをしてもらいました。朝7時前なのでまだ眠い顔です。

[:up:]二水駅の林駅長さん。
会うたびに誰かにいてるなあと思っていたのですが、わかりました。
小さな旅でいすみ鉄道に取材にいらしていただいたNHKの国井アナウンサーです。

[:up:]その林駅長さんにもサインを書き込んでいただきました。

[:up:]二水駅で列車にヘッドマークを取り付けて出発です。


[:up:]終点の車埕駅に到着してヘッドマークを外し、参加者みんなで記念撮影です。


よく、観光鉄道というと、「どうせマニアばかりなんでしょ。」という人がいますが、台湾の場合は、家族連れやカップルがとても多くて、それも特に観光地でも何でもない終着駅の駅構内を広場として開放して、そこにたくさんの人が来ているわけです。
だから勉強になるわけです。

ましてこの地域は1999年9月に発生した集集大地震で大きな被害を受けたところ。地震で潰れたお寺が今でも手つかずで残っているようなところですから、鉄道だって大きな被害を受けたところなんです。
日本だったら、そのまま廃止にしてしまうでしょうが、立派に再建して観光鉄道化し、鉄道だけじゃなくて町もにぎわっているのです。



[:up:] 集集駅前のにぎわいです。
観光地でも何でもないところに人がたくさん来るようになって、駅前にお店がたくさんできはじめて、何だか知らないけどみんな楽しそうにしているんです。
震災で多くの被害を受けたところなのに、それをバネにして、しっかりとたくましく生きている。台湾全土の人口が2400万人といわれていますから、首都圏3500万人を抱えるいすみ鉄道でできないわけはないんですね。
ただし、観光というものに対する考え方を根本から変えなければだめです。
観光というのは遊びではなくて産業ですから、需要を作り出すところから始めなければなりません。
お城と城下町でいくらPRしたとしても、新しい需要にはつながらないんですね。
大多喜町の鈴木副町長さんも先日この状況をご覧いただきましたから、きっとご理解いただけると思いますが、大多喜町だけじゃなくていすみ市も千葉県も日本の国も、とにかく今までのやり方を変えなければ、田舎は全部だめになるわけですから、私は台湾のローカル線を成功事例としたいと考えているのです。