私がワクワクした列車

この週末、大原では毎年恒例の「大原はだか祭り」が開催されました。
このお祭りはとにかくすごいお祭りで、地元の男衆が男の中の男を演じるお祭りですが、お祭りと聞くと、居ても立ってもいられなくなるようなお祭り男やお祭り女が日本人には多くいるようで、皆さんワクワクしている様子がよく伝わってきますから、そういう元気な人たちを見ると、こちらまで元気になりますから不思議です。
でも、私は、昔からこのお祭りの雰囲気が苦手で、どうも自分の世界じゃないと感じているから、お祭りはいつも遠巻きに眺めるだけでパスしているのですが、そんな私がいつも思うことは、「大原に生まれて、私のようにお祭りが嫌いな人がいたら、さぞかし困るだろうなあ。」ということ。
日本全国いろいろなお祭りがありますが、地元の男連中は、成人になるとおじいさんになるまで、お祭りの主役を務めなければなりませんから、私は「こういう町に生まれなくて良かった。」と思うのです。
で、私はお祭りでにぎわうこの週末は、大原生まれで大原育ちでもお祭りがどうも苦手という40男を誘って、お祭りを尻目に焼き鳥屋さんでハイボールを飲んで過ごしたわけです。
でも、お祭りのときは夜遅くまで、男衆が実に生き生きと動いているのがとてもうらやましくて、「きっと、おじさんになってもワクワクしてるんだろうなあ。」と思うのです。
ところで、私の場合、ワクワクすると言えばやはり鉄道。
先日も書きましたが、昨今の日本の列車はなかなかワクワクするような路線や列車はありませんが、50おやじの回顧録では、「昔の列車はよかったなあ。」となるわけです。
そんなわけで、本日は結解学先生が撮影した千葉の列車の最終回。
私が小学生の頃、とてもワクワクした房総の気動車急行の写真です。
(写真をクリックすると大きくなります。)

[:up:] 昭和44年夏。新宿駅で発車を待つ急行「そと房」。先頭はキハ26です。
左は急行「かいじ・かわぐち」(併結列車)、甲府・河口湖行。
房総半島の急行列車はキハ28が主流でしたが、多客期ではこのようにキハ26が先頭に立つこともありました。
地域格差とは言いたくありませんが、中央線の急行が165系でもちろん冷房車。グリーン車が2両もついていてその隣はビュッフェのサハシ。
それに比べると、千葉へ行く列車は、ご覧の通りのうらぶれた編成です。

[:up:] こちらはキハ26の「そと房」とキハ28の「水郷」です。
キハ26はキハ28よりも1世代古い気動車ですが、よく見ると、いすみ鉄道で走るキハ52(20系気動車)と同じ顔をしています。
それもそのはず。昔は準急用気動車と言われていたのです。
というのも、昭和20年代には気動車(ディーゼルカー)はエンジン出力などの関係で車両を大型化することが難しいと言われていて、小型の車両では車内設備が長距離優等列車には向かないとされていました。だから、当時の発想では、長距離を走る急行列車は、機関車が引く客車の方が快適だったのですが、このキハ26(55系気動車)の登場により、近距離であれば優等列車に使用できるようになったのです。これがすなわち準急列車で、急行ほどではないけれど急行に準じる列車ということなのです。
いすみ鉄道の硬券急行券の裏にはちゃんと「準急行列車」にも使用できますと記載されているのは昭和の名残りなんです。(お気づきでした?)

さて、他の路線の急行列車に比べると、どうも房総へ行く急行列車は見劣りがする。
その中でも編成の一部に連結されているこのキハ26は特に「なんだかなあ。」なんですが、実は私、子どもの頃からこのキハ26が大好きで、当時、編成の中でこのキハ26を見つけると、喜んで乗っていました。
それは、なぜかと言うと、キハ26と一言で言ってもいろいろな種類があって、その中の一部の車両には、昔、2等車(今のグリーン車)だったキロ26を改造して普通車にしている車両があって、長編成の列車の中にその車両を見つけると、わざわざそれを選んで乗っていたのです。

[:up:] キハ26だけを連ねた急行「水郷」。これは圧巻です。
この「水郷」編成はよく見ると窓の形が車両によって違います。
1両目は小さな窓がたくさん並び、2両目はバス窓。そして3両目にふつうの1段上昇式窓で、4~5両目にまた小窓が並んでいます。
(バス窓のキハ26はいすみ鉄道の売店で売っているトレインおかきに採用されていますよ。ご存知でした?)
私が好きだったキロ格下げ車はこの小窓が並ぶ車両で、車内にはグリーン車時代のゆったりとした座席がそのまま固定されてボックスシートとして使用されていたので、急行料金だけで乗れるお乗り得な車両だったわけです。(グリーン車時代は進行方向に向く2人掛けシートでした。)
で、私のお目当ては、このグリーン車の座席が背中合わせに固定されている部分の後ろに空間があって、子どもながら、その部分に入り込むのが冒険気分が味わえてワクワクしたのです。
残念ながら写真はありませんが、少しリクライニングした座席を背中合わせにすると三角形の中に空間ができるわけで、その空間に入り込むと床下からエンジンの音が響いてきて、親の目も届かず、周辺からは隔離されてとても気分が良かったのです。
当時の列車は今と違ってとても混んでいましたから、小学生には席などありません。
今の時代、若い親たちが混んでいる自由席車両で幼児を座席に座らせて平気な顔をしている光景をよく見ますが、当時は新聞紙を敷いて床に座るのが当たり前の時代でしたから、幼児は親の膝の上、小学生中学生は立って、大人たちが座席に着くのが、少なくとも私の周りでは当たり前でした。
そういう時代に、このキハ26は私にとって最もワクワクする列車だったのです。

[:up:] 新宿を出て代々木に向かう急行「そと房」。
キハ26とキハ28の雑多な編成が楽しいですね。
今、こんな列車が走ったら、沿線に何万人も人が集まるだろうし、乗車券もすぐに完売するだろうなあと思います。
キハ26は、ふだんは中間に連結されて使用されていたようですが、多客期には休車まで駆り出されていたようですから、このように急行列車らしからぬ情けない顔が先頭に来ることも多々ありましたが、ワクワクするもう一つの理由として、キハ26は先頭部のデッキと運転席との間に仕切り壁がなく、前面展望がとてもよく楽しめたことがあります。
おまけに、この先頭部デッキには格納式の補助席があって、それを引っ張り出して座ると、運転士気分が味わえたのでした。
これに対してキハ28はデッキと運転室の間に仕切り壁があって、窓はあるものの小学生では背が届かず、前の景色が見ることができないわけで、小学校低学年としては、とにかくキハ26が先頭に付いていると、45年経った今でもはっきりと覚えているぐらいワクワク感いっぱいだったわけです。

[:up:] 水道橋―お茶の水間を走る急行「そと房」。 後ろは101系の総武線千葉行。
新宿発の急行列車は快速線を走って御茶ノ水駅の手前の渡り線で総武線の線路に入ります。
神田川添いにこういう光景が見られたのですが、私にとって当たり前のこの景色も、今の人たちには新鮮に見えることでしょう。
今ならさしずめ「新宿わかしお」ですね。
だから、いすみ鉄道のキハの急行に乗りに「新宿わかしお」に乗ってくる価値があるということなのです。(急行1号はちゃんと接続してるでしょう。)
以上、結解学先生が撮影された昭和の千葉の汽車の写真を私なりに解説させていただきました。
先生、ありがとうございました。
今から45年も前、自分が子供だったころ、汽車に乗るのはとにかくワクワクしたものです。
私は、いすみ鉄道で社長になって思うことは、自分がこれだけワクワクした鉄道に対する想いを、今の子供たちを含めた若い人たちにできるだけ伝えたい。同じ気持ちを味わってもらいたいということです。
黄色いムーミン列車も、昭和のキハも、私がいすみ鉄道で展開する世界は、大人が懐かしむのはもちろんですが、子どもや若い世代の人たちにワクワク感を体験してもらうことが目標で、そうすれば、そういう子供たちが、将来鉄道というものに愛着を持ってもらうことができるし、そういう人たちがいっぱい増えて、大人になっていくことで、将来の日本は物質文明ではなくて、もっと情緒的で思いやりがある文化的な国になると思うからです。
皆さん、いすみ鉄道へぜひいらしてみてください。
自分なりの何かを見つけられると思います。

「何だ、こんなところ何もないじゃないか。」
そういう人は可愛そうな物質文明の僕(しもべ)であることに、一人でも多くの皆様方か気づくことができる場所。
東京から名古屋まで40分で行くことがすごいと思っている人たちがいるようだけど、
「もう、そんな時代じゃないんです。」
それを実感できる場所が、いすみ鉄道と、いすみ鉄道を取り巻くいすみ市、大多喜町の風景と人情なのです。