九州へ行ってきました。
博多にある九州運輸局にお邪魔して佐藤運輸局長さんと宮野鉄道部長さんにご挨拶してきました。
九州運輸振興センターが主催する九州運輸コロキアムという会議がありますが、その9月の会議に、いすみ鉄道社長である私が講師として講演をしてほしいというご依頼を受けまして、その打ち合わせに行ってきました。
[:up:]佐藤運輸局長さん(左)と宮野鉄道部長さん(右)と記念撮影をしていただきました。
いすみ鉄道は九州の方にはご縁がないのではと思いましたが、お話をお聞きしていると、地域交通の課題はやはり全国共通のようで、九州はローカル線とバスに加えて、離島航路も数多くありますので、とにかく大変なようです。
でも、いすみ鉄道が、ローカル線問題という、日本の国が過去40年間取り組んでいまだに解決できない社会問題を、全く別の面から取り組んでうまくいっているのがとても参考になるとのことでした。
私は鉄道業生え抜きではありませんし、公務員でもなく、学者でもありませんから、難しいことを難しく考えることはできません。
難しいことをできるだけシンプルにして取り組むだけの頭の構造しかありませんから、体当たりして、地域と一緒になってやっているわけですが、結果として、ローカル線問題と、地域活性化と、観光振興を全部一度にやっているわけですから、皆様から見たらとても興味深く見えるのでしょう。
九州運輸局の皆様方も、いすみ鉄道を応援してくれているって、すごいと思いませんか?
さて、せっかく九州へ来たのですから、ちょっと足を延ばして甘木鉄道さんを訪ねてみました。
甘木鉄道さんは鹿児島本線の基山(きやま)駅から分岐する第3セクター鉄道で、旧国鉄甘木線という赤字ローカル線を引き継いで誕生しましたので、いすみ鉄道と同じ生い立ちの路線です。
ただし、生い立ちは同じでもいすみ鉄道とは大違い。
甘木鉄道は第3セクターの優等生で、地元の足としてすっかり定着している路線で、鉄道輸送事業だけで黒字なんです。
線路長はいすみ鉄道のほぼ半分の距離の約13km。
でもワンマンディーゼルカーを8両も所有していて、朝夕には15分間隔で、日中でも30分間隔で列車が走っています。
また、西鉄電車や高速バスともリンクしていて、交通機関として立派に活躍しているのです。
これは、ひとえに地域住民の方の理解と、会社の職員の皆様の努力のたまものですね。
ちなみに、国鉄が廃止になるときに、第3セクターとして甘木鉄道を残すことについて福岡県は全く消極的で、「西鉄電車も走ってるし、バスで十分でしょう。」と相手にしてくれなかったようですが、結果として地域の足として今でも鉄道が立派に残って活躍しているわけです。
皆様方ご存じの方も多いと思いますが、福岡県内にはほかに平成筑豊鉄道という第3セクターも頑張って活躍しています。
でも、廃止にしてしまった国鉄の支線も数多くあり、鉄道から路線バスに変わって数年でそのバスも廃止。あとは自治体がコミュニティーバスを細々とやっているところがたくさんあります。
福岡市や北九州市からの距離を考えたら、鉄道廃止→バス代替→バス路線も廃止→コミュニティバス化 となることを考えると、意外に最初から鉄道のままので残しておいた方が自治体の補助金は少なくて済んだのではないかと思うのは私だけではないでしょう。
一般論ですが、行政はバスを歓迎しているようで、バスには補助金を出しますが、鉄道にはなかなか補助金を出さないようです。
でも、鉄道であれば、駅を中心とした町も維持できるし、お客様は黙って駅までやってくる。
鉄道を廃止してバスにした途端、「俺の家の前で停まってくれ。」となりますから、コミュニティーバスは路線ばかり増えて、乗車実態が伴わないところが多くコストだけが増すことになる。
結果として、「鉄道を中心に、駅から補完的にバスを走らせていた方が安かった。」ことに気が付くのですが、その時はもう遅いわけです。
この甘木鉄道沿線住民の皆様方は、そういうことをよくわかっていて、甘木鉄道を大切にしているんだなあと感じました。
やっぱり、実際に行ってみないとわからないものですね。
甘木鉄道の皆様、ありがとうございました。
[:up:]甘木鉄道の甘木駅。国鉄時代の雰囲気を良く残す素敵な駅です。
[:up:]駅の中では地元の高校生がショップを開いていました。
[:down:]学校で作ったおせんべいを販売中。おいしそうなので2袋購入しました。
[:up:]ホームに上がると、「あれ? キハだ!」
そう。キハ52と同じ国鉄色に塗ったレールバスも走っているんです。
現在風のレールバスにもこの塗装は似合いますね。
よし、いただき!
[:up:]途中の太刀洗駅にはT33ジェット機が。
[:up:]太刀洗記念館に保存されているゼロ戦。
太刀洗には陸軍の飛行場と軍需工業があって、旧国鉄甘木線はそのために建設された路線です。当時は1日2万人以上の人が太刀洗駅に乗降したとのこと。
駅の広い構内が当時を物語っていました。
フラリと訪ねたローカル線で、いろいろなことを知ることができました。
やっぱり、ローカル線は文化遺産、産業遺産でもあるのです。
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