少し心ある際(きは)は

大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。
「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰し置きて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん。行末難なくしたためまうけて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。
命は人を待つものかは。
無常の来る事は、水火の攻むめるよりも速かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。
突然何かと思われる方もいらっしゃると思いますが、これは吉田兼好の徒然草(つれづれぐさ)の一節です。
おととい、高校時代の同級生の東君と飲んでいるときに、突然このフレーズが頭に浮かびました。
高校時代の私は文学青年で、小説家になってペンで生計を立てて行こうと考えていた時期もありました。
今、飽きもせずに毎日このブログに「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付けている」のも当時の片鱗かもしれませんが、人間というのは不思議なもので、東君の顔を見ていたら、30数年前の古典の授業で習った兼好法師の一節がスラスラと出てきたのです。
文学青年というのは、今の世の中がどうであろうとおかまいなしに、世の中の真理を探究するのがお決まりのコースですから、私も例外でなく、いつの時代でも通じるような人間のものの考え方や、真理と言われるものを探し求める「迷える子羊」だったわけですが、その結果として、「商売」という、これまた人間の真理の本質をとらえなければ成り立たない行為に今でも夢中になっているわけです。
さて、私がこの兼好法師の言葉の中で、当時何が一番心に引っかかったかというと、「おうよう、少し心あるきはは」という部分。
今の言葉でいえば、「たいてい、少し物事を考えている人は」という下りです。
人間というのは、毎日生活に追われていますが、その中の何割かの人は自分の現状に「今のままではいけない。」という気持ちというか危機感を持っている人がいるもので、そういう人のことを「少し心あるきは」といっているのですが、せっかく現状を何とか変えようと考える人間になれたのに、そういう人が陥りやすいのは、「ああ、今取りかかっている仕事をこなしてからにしよう。」とか、「もう少したてば状況も好転するだろう。」とか考えて先に進めないということ。
「皆、このあらましにてぞ、一期は過ぐめる。」
皆だいたい、そうこうしているうちに、やりたいこともできずに一生が終わってしまいますよ。
と言っているのです。
孔子は
「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。」と言っています。
勉強しても何も考えないのはヤバイ。でも、せっかく勉強が必要だと考えているのに勉強しないのはもっとヤバイ。
ということです。
日本文化では「今日できることは明日に回すな。」ですが、ラテン文化では「明日できることは今日やるな。」と言うようです。
でも私は、自分がコレだ!と思うようなものに出会ったら、「明日やることを今日やろう!」で行くべきだと思います。
隣の家が火事になったら、「いや、ちょっと待ってくれ。これが終わってから逃げることにします。」と言う人はいませんよね。
皆さん、恥も外聞もなく、すべてのことに優先して逃げ出します。
人間に必ずやってくる死というものもそうですね。
死神が目の前にやってきたら、もう少し待ってくれ、とか、あの事を済ませてから、などと言ったって待ってくれるはずがありません。
だから、やりたいことや、やるべきだと考えていることがあったら、そして、それが本当に人生の大切な部分であると思うのならば、今すぐにやった方が良いのです。
兼好法師は、今から700年も前にこういうことを言っています。
700年も前の考えが今の世の中に立派に通じるのですから、私は古典のような時代を超えて残っているものには、ある種の真理が隠されているのだと思うわけです。
これが、私が52歳になって最初に考えたことです。
でも、皆さん、そんなに心配することはないですよ。
兼好法師もおっしゃっています。
「少し心あるきわは」と。
たいていの人は、そんなことを考えることもなく、毎日忙しく過ぎて行って、気が付いたら死んでいるのですから。
あなたは「少し心ある際」ですかね。
自分はそうじゃないと思うのであれば、第1段階としては、「少し心ある際」になることでしょう。
ただただ毎日面白おかしく暮らしているのも良いかもしれませんが、自分はなぜこの世の中に生まれてきたのだろうか、自分が生きている意味は何なのだろうか、と考えるようになったら、「少し心ある際」の資格を得たことになります。
そして、今自分はまさしく「少し心ある際」であると思うのであれば、第2段階として、なんだかんだとできない理由を探すのではなく、今すぐ躊躇せずにそのことに向かって行動することです。
そうしないと、すぐにやってきますよ。
人生のTHE END が。
人間、気が付いたら死んでいるのです。
あっ、死んだら気が付つかないか。
だったら、やっぱり心配することもないかもしれませんね。
考えて生きるもよし、何も考えずに面白おかしく生きるもよし。
どういう人生を選ぶかはあなた次第なのですから。