今日は3月15日。
昭和47年(1972年)に新幹線が岡山まで開業した日。
「ディスカバー・ジャパン」
「ひかりは西へ」のコピーで、鉄道がどんどん発展していった。
発展するということは新しいものができるのはもちろんだけど、古いものもどんどん消えていく。
伯備線をにぎわした布原の3重連は、新幹線の開業と引き換えに消えました。
今思えば、古いものが消えていくから、発展しているような気がしていただけかもしれないけど、世の中が右肩上がりで進んでいるという実感が国民のだれにもあったような気がします。
私は小学校5年生から6年生になるときで、朝目が覚めると何かが変わっているような時代だったことを覚えています。
鉄道好きな私は、新幹線や特急列車が次から次へと増発されるよりも、蒸気機関車やディーゼルカーの列車が自分の周りから居なくなることに恐怖感があって、子供ながらに「どんどんつまらなくなっていく世の中」にある意味失望感がありました。
記憶に残る昭和47年の出来事。
・グアム島で日本兵の横井さん発見
・札幌オリンピック開催
・新幹線岡山開業
・浅間山荘事件
・国労、動労、私鉄総連、交通ゼネスト
・大阪、千日デパート火災
・高松塚古墳発掘
・田中角栄総理大臣 日本列島改造論
・沖縄返還 沖縄県誕生
・外房線、内房線全線電化。東京地下駅開業
・JALニューデリー墜落事故
・大雨水害 土讃線繁藤駅、肥薩線真幸駅で土砂崩れ、列車が流される
・日本人ゲリラ、テルアビブ空港テロ
・北陸トンネル内、急行「きたぐに」火災
・鉄道100年
・JALモスクワ墜落事故
・上野動物園にパンダ
こんなにたくさんの出来事がありました。
JALが2回落ちてますが、この前年にはANAが雫石上空で自衛隊機と衝突して墜落。東亜国内航空(旧日本エアシステムの前身)が函館横津岳に墜落(ばんだい号事故)と、飛行機も鉄道も毎年大きな事故がありました。
今、急速に発展している中国でも似たように大きな事故がたくさん発生していますが、日本がかつてそうだったことを知るおじさんたちにしてみれば、「そりゃそうだよねえ」と、一方的に「中国はダメだ!」と言えないということがよくわかります。
当時の私としては、春、秋のダイヤ改正ごとに各地で蒸気機関車が消えていくのが最大に耐えられないことでした。
この時は、小海線C56、会津・只見・日中線C11、陸羽東線C58、石巻線C11、羽越本線D51、C57などが健在でしたが、小学生にとっては行きたくても行けない遠いところでした。
遠くて行けない場合はどうするかというと、もちろん時刻表片手の机上旅行。
ただ見ているだけではつまらないから、東京から東海道本線の駅名を覚え始めて一週間で京都に到着。
こりゃあ面白いぞ! ということで、大阪、岡山、広島、下関。
関門トンネルをくぐって博多から熊本、そして西鹿児島までを小6の夏休みまでに制覇。
さらに日豊本線を宮崎、大分と上って下関から山陰本線を長門市、益田、浜田、出雲市と上って、中学に入る時点で京都に到達。
そこまで来て何だかアホらしくなって覚えるのをやめたけど、不思議なことに、当時覚えたことは、今でもしっかりと記憶の中にあるのです。
今日の昼飯何食べたかも覚えてないくせにね。
徒然なるままに、3月15日にまつわる思い出を記してみました。
私の書棚にある1972年3月号の時刻表。手あかにまみれてこんな状態になっていますが、今でも大切にしています。
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