高2の夏 北海道旅行 その2

翌朝、白老のユースホステルで目を覚ますと、朝食を済ませて近くにあるアイヌコタンを見た。
こういう民俗村には興味がなかったけど、歩いて行かれるところだったので、とりあえず行ってみた。
民族衣装を着たおばさん達の踊りを見ているのはやっぱりつまらなかったが、話のタネだと思って続けて見ていたところ、だんだん皆がざわつき始めた。
そのうち踊りも途中で止めになってしまい、どうしたのかと聞くと、なんだか知らないけど火山が噴火したようだという。
最初、樽前山とか言っていたが、しばらくして有珠山の方が噴火したと言って、食堂のようなところへ集まって皆でテレビのニュースを見始めた。
【有珠山と言えば2000年に大噴火したのが記憶に新しいが、この年(1977年)にも大噴火をして、私はちょうどその時に近くに居合わせたのだった。】
木村君は「そういえば、さっき、ドーンという音が聞こえた」と言った。
私にはそんな音は聞こえなかったが、音が聞こえる聞こえないにかかわらず、ニュースの内容を聞くまでもなく、午後になると火山が噴火したのは誰の目にも明らかになった。
空が真っ暗になってきたのである。

[:up:]有珠山の噴煙が白老の町にもやってきた。列車はDD51が引く室蘭本線の貨物列車。
私は、こんなところに長居は無用だと思い、札幌に行こう木村君を促した。
有珠山の噴火がどの程度のものかは知らないけれど、札幌のような大都市に行けば、とりあえず何とかなると思ったのである。
幸いなことに室蘭本線の列車は問題なく動いていた。
苫小牧で急行列車に乗り継いで札幌へ入り、待合室のテレビを見ると、どのチャンネルも噴火のニュースばかりだった。
旅先で遭遇した出来事に、これはたいへんなことになったと思った。

[:up:]苫小牧駅のホーム。 木造の屋根と跨線橋、駅弁売りのおじさん、向うのホームにはキハ17型の室蘭行普通列車が停車する。苫小牧まで来れば、噴火の影響はなかった。
木村君と2人で今夜の宿をどうしようかと考えたが、昨日ユースホステルに泊まり十分に休養がとれたので、今夜は夜行列車の中で寝ようということになった。
こんな時でも先立つものを優先させたのだ。
時刻表を見ると、函館本線の山線と呼ばれる小樽、倶知安回りの路線を経由する函館行の各駅停車が夜21時43分に出る。国鉄の人に聞くと、函館本線は動いてるとのことなので、その夜行列車に乗ることに決めたのである。
ところがこの列車がくせ者で、編成は8両と長いのだが、お客さんが乗れるのはわずか3両で、後の5両は荷物車と郵便車。
まして、時刻表を見る限りでは札幌始発となっているけれど、実際の列車は旭川からやってきていて、札幌に着いた時には、すでにけっこう混んでいた。
やっとの思いで座ることができたものの、一晩中窮屈な思いをすることになったのだった。
人間さまにこんなに窮屈な思いをさせてまで、荷物車ばかり連結して、いったい何を運ぶのだろうかと、列車がガクンと停まるたびに眠れない目でホームを見ていると、途中の駅でひと駅ごとに大きな包みを降ろしている。そして真夜中なのにかかわらず、その荷物を駅員さんがリヤカーに積んでホームを運んでいた。
何だろうとよく見ると、それは束になった新聞だった。
この列車は札幌から沿線地域に朝刊を運ぶ新聞列車だったのだ。
だから、お客さんなんてどうでもよかったのである。
この夜私は、夜汽車の窓から生まれて初めて流れ星を見た。
眠れない目で空を見ていると、夜空には見たことがないぐらいたくさんの星があった。その星の一つ一つがキラキラ輝いて、星空に奥行きを感じるほどだった。
そしてその中をスーッと横切るものがあった。
目を凝らしてよく見ると、あっちでも、こっちでも、スーッ、スーッと横切るものが見えて、東京育ちの私にも、流れ星であることがわかったのである。
人生にいろいろ不安を抱えていた私は、その時、立派な大人になれますように、と思った。
(高2の夏 まだまだ続く・・・)

蒸気機関車が廃止されてからは夜行列車も含めて、北海道の客車列車は一部のローカルを除き、ほとんどすべてをこのDD51が引いた。よく見ると、ホームの先にはかつてC62などが給水したスポートが残っている。(長万部)