スーパーおおぞらの火災事故

今朝、目覚めとともにすごいニュースが飛び込んできた。
スーパーおおぞら号の火災炎上事故。
一般人なら、車両が燃えて、乗客が逃げて、トンネル内だったけど、全員無事だった、ぐらいにしか思わないでしょう。
でも、鉄道人にとってみたら戦慄が走る事故。
一歩間違っていたら、大惨事になる事故でした。
場所は石勝(せきしょう)線。
この名前を聞いただけでピンとくる人も多いはず。
北海道の背骨をショートカットする山越えルートは30年ほど前に開通した比較的新しい路線で、連なる山々を掘り進んだ長大なトンネルが連続することで有名な路線なのです。
現場は第1ニニウトンネル。このトンネルは全長685メートル。
石勝線では短いトンネルの一つ。
清風山という山の中の信号所(列車が交換するためだけの設備)を抜けて隣接する第1ニニウに入ったところで停止したようだ。
私が恐ろしいと考えるのは、この685メートルの第1ニニウトンネルを抜けて2~300メートル走ったところには次の新登川トンネルが口を開けて待っている。
車両火災がもう少し遅ければ、おそらく10数秒遅ければ、列車は時速130キロの高速で、次の新登川トンネルに飛び込んでいたはずで、その新登川トンネルというのは、石勝線区間で一番長い5825メートルの長さだからだ。
トンネル火災といえば、昭和47年に発生した北陸トンネル事故が代表的な事例で、当時の夜行急行列車「きたぐに」に連結された食堂車が深夜の北陸トンネル内で出火。火災で架線が切断され停電が起きたため、けん引していた電気機関車が動けなくなり、列車がトンネル内で立ち往生してしまい、結果として数十名が亡くなられた大事故である。
当時、私は小学校6年生でしたが、やはり朝目が覚めて飛び込んできたニュースで、すごい事故が起きたと思ったことをはっきりと覚えています。
その後、狩勝実験線(北海道新得町にあった国鉄の実験線)を利用して、列車火災の実験が何度も行われ、その結果、トンネル内で列車火災が発生した場合、運転士はトンネル内で列車を停止させることなく、トンネルを通過するまで運転を続行する方が、被害は少ないとの結論が出ているはずですが、今回の事故では、なぜか乗務員はトンネル内で列車を停止させているのも、どういう意味なのか不明です。
その狩勝実験線があったのは、今回事故を起こしたスーパーおおぞらが事故現場に差し掛かる少し前に通過した場所。
何だか因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか。
今の列車は完全空調ですから窓が空きません。
室内に煙が充満して、息苦しくなった乗客が、非常ドアコックを操作してドアを開けて外気を入れようとしたら、走行中の列車のドアが開くわけですから、自動的に非常ブレーキがかかります。
その結果、トンネルの外まで走りきることができず、トンネル内で停止したのかもしれません。
また、不燃構造の車体がどうして燃えるのか、不燃材を使用することに何の意味があるのか、理解に苦しみます。
大震災の前の3月初めに、成田線で貨物列車が脱線する事故が発生しました。
走行中の貨車の車輪が脱線し、長い距離をそのまま走ったため、線路に引きずった跡がついている事故です。
大震災でほとんど報じられなくなってしまいましたが、今度のスーパーおおぞらの事故も同じような感じがします。
今後、徐々に原因が解明されてくるとは思いますが、鉄道人として、他人事とは思えないケースです。
また、皆さんはご存じないかもしれませんが、航空機の墜落事故原因でも多いのが機内での火災。
昔は離陸後3分と、着陸前8分が一番危険と言われてましたが、最近では長距離国際線の飛行機が、水平飛行で巡航中に突然消息を絶つ事例が数件発生しています。
そして、その多くが、電気系統の破断や加熱、短絡による機内火災が原因で発生したとされているのです。
私は、航空業界と鉄道業界の二つにかかわっていますから、本当に他人事とは思えない事故なのです。