本日のお客様

本日は新潟県糸魚川市より、市議会議員の皆様がいすみ鉄道に視察にお見えになられました。
糸魚川といえば大糸線の始発駅。
大糸線と言えば、今度来るキハ52が長年活躍したところ。
これも何かのご縁ですから、ということでしょうか。
いすみ鉄道の取り組みについて、いろいろと勉強させてほしいということで、バスを仕立てていらっしゃいました。
乗ってこられたバスが「頸城バス」と書かれていましたので、「あっ、くびきバスですね。」と私が言うと、
「この字をくびきと読める人はなかなかいませんよ。」と皆さんおっしゃられましたが、
「昔、頸城鉄道という小さな鉄道がありましたよね。」と私が答えると、皆さんと急に打ち解けることができました。
頸城鉄道は昭和40年代中ごろまで走っていた線路幅762ミリの軽便(けいべん)鉄道で、廃止されたのち、コッぺルという小型の蒸気機関車が、西武鉄道の山口線(現在は新交通システム)にやってきて、活躍していましたので、わたしも休みの度に写真を撮りに出かけていました。
今の西武球場があるところです。
西武山口線は、この頸城のコッぺルに、岡山県の井笠鉄道で使われていたダブルルーフのボギー客車を数両買い取って引かせて走っていましたし、その後は台湾の製糖会社でサトウキビ運搬用に使われていた蒸気機関車を日本に持ってきて走らせるなど、軽便鉄道という制約の中で、とても偉大な努力をされていたんだなあと、今になって思います。
その他にも、糸魚川の近くには東洋活性白土という工場専用線で小さな機関車が走っていましたので、そんな話をしましたら、皆さまびっくりされていましたが、年季の入った鉄道ファンでしたら、基本的な常識事項なのですから、私以外でも、鉄分の濃い方でしたらご記憶の方も多いと思います。
3両走っていたキハ52が1両は岡山県の津山へ、1両はいすみ鉄道へ、そしてもう1両は地元の糸魚川市で保存されるようです。
そんなこんなで、とりあえず3両あったキハ52が1両も解体されることなく残されたことが一番の幸せですね。ということで意見がまとまりました。
そしてそのうちの1両はいすみ鉄道で現役で走るのですから。

糸魚川市議の皆様、本日はありがとうございました。