ローカル線は心の栄養剤である。
都会に住む人は、いつかローカル線に乗りに行くことを夢見るだけで心が休まり、幸せな気分になれる。
田舎の人たちは、生まれ育った豊かな自然の風景の中を汽笛を鳴らして走る列車を見るだけで、ホッとした気持ちになれる。
どちらにも共通しているのが、「乗らないけれど走っていてほしい」という気持ち。
そして、争いのない世界。
今、日本だけでなく、世界的に見ても世の中が大きな曲がり角に来ていると思う。
リーマンショックと呼ばれる経済危機以降、2~3年の間に世界各地で何度も経済危機が発生し、責任のなすりあいのような様を呈している。
アメリカ主導、ドル主導の世界経済が、断末魔の叫びをあげているように見えるのは私だけではあるまい。
中国は経済発展しているというけれど、私から見たら、小学生が3億円の宝くじに当たってしまったようなもの。
自分たちが次に何を買おうか考えるだけで精いっぱいで、とても世界をリードしていくだけの力量はない。
では、どうしたら良いか?
それは誰にもわからない。
世界の首脳が皆で考えても答えはそう簡単には出ない。
なぜなら、今まで使ってきた物事を測るモノサシそのものが使い物にならなくなっているからだ。
過去、半世紀以上にわたり、世界は「豊かになること」を目標に前進してきた。
GNP(Gross National Products)
GDP(Gross Domestic Products)
GDI(Gross National Income)
そして Balance of Payments
世界経済が断末魔の叫びをあげる中、こういった今までのモノサシでは将来や現在の価値観、方向性を判断するのに役に立たなくなってきているのだ。
「豊かになること」を目標に、寝る間も惜しんで、人間性を否定されながら、一生懸命働いてきて、その結果として、私たちは本当に豊かになったのか。
確かにテレビ、洗濯機、冷蔵庫、電話、パソコン、湯沸かし器、自動車、バイクなど、40~50年前にはなかったものが今では普通に手に入り、夏になってもアセモができることもなく、冬でもアカギレができることなく、生活は便利になった。
だけど、昔はあたりまえだった3世帯同居の家族から親子だけの核家族や単身世帯があたりまえになり、その結果、老人たちは病院や施設で老後をフェードアウトしていく。
こういう世界が豊かになったと言えるのだろうか。
能力イコール所得。
所得イコール幸せ。
だから受験勉強に勝たなければ幸せになれない。
本当だろうか?
常にお金や物を追いかけることが人生の目標なのだろうか?
モノはなくても、お金はなくても、充実した人生を送ることはできるし、
そうやっている国や地域はいくらでもある。
そこで、提案したいのが GNHという考え方。
GNH。Gross National Happiness.
国民総幸福度という新しいモノサシ。
どうやって測るかは、私もまだ手探り状態だけど、
お金がなくても、遠くへ行けなくても、特別なことをしなくても幸せになれるような、そんな指数があって、それを目標に前進していくこと。
ボランティアでもよいし、介護でもよい。
誰かさみしい人と話をするだけでもよいと思う。
自分にできる範囲内で、何か社会に関わり、参加することで、お互いに幸せになれるような、そんなモノサシを上手に使えるようになれば、アメリカがくしゃみをしても風邪をひかないだけの抵抗力を付けることができるのではないか。
そのためにはローカル線がとても重要な役割を果たすことができるような気がする。
使えなくなったから、いらなくなったからすぐに捨ててしまう。
そんなふうに考えるモノサシはもうやめよう。
東京でJRの電車を見ていると、毎年、どこかの線で新型車両が走りだし、あっと言う間にその線の旧型車両の置き換えが完了する。
そうすると、また次の線に新型車両が入る。
「この電車は従来の車両の何十%の電力で走っています。」などと言い訳がましい掲示をしながら、だれの利益か知らないけれど、どんどん新型が登場し、まだまだ使える車両が捨てられていく。
少ない電力で走るって、そんなにエコなの?
作られた電気は使わなければ消えてしまう。
だから、いくら性能が良い電車に置き換えたからと言って、発電所がそれに見合う出力をダウンさせなければ、地球温暖化に貢献しないのに。
その前に、エコって エコロジー? それとも エコノミー?
古いものを大切に使う姿勢を大きな会社が率先して示していくのが正しいあり方だと思うのに。
株を上場して、資金が潤沢に入ってくるようになったから、設備投資をいっぱいやって、見た目を良くして、数字を挙げて、株主の利益を最大限に考えなければならないし。
経営者といえども、順番に人事異動で回ってくる担当者だし。
そういう会社が、その規模だけで、鉄道業界をリードしていると思われたくない。
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新しいモノサシはローカル線から。
だから、ローカル線は残していかなければならないのである。
成田エクスプレスの253系が全車新型車両に置き換えになる。
そんな記事を見てふと思ったこと。
成田エクスプレスが登場したのは1991年3月19日のダイヤ改正。
当時、空港に勤務していた私は、池袋発成田空港行の初列車に乗って出勤した。
その約一週間後の3月25日に3男が誕生した。
その3男が今、19歳。大学2年生になった。
それなのに、同じ時を過ごしてきた成田エクスプレスの253系はもう 「廃車」。
山形新幹線の400系電車もそうだけど、何だか早すぎません?
いくらお金があるかは知らないけれど、
どんなに正当な理屈をつけたとしても、
私は何だかおかしいような気がします。
同じ千葉県で、いくつもの小さな鉄道会社が、存続の危機に直面しているというのに。
おいしい路線、良いとこばかりを切り取って誕生したJRが、湯水のようにお金を使っているのを見ると、こういうことが、今の日本の、地方切り捨ての現状の品評会のような気がします。
個人的には、新しい電車は大歓迎なのだけれど。
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おいJR、クモハ252を両運改造して銚子電鉄に寄付しろ! ってか!
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