誰かが何とかしてくれる

誰かが何とかしてくれる。
そうではなくて、自分たちで頑張って未来を作っていくのです。

先日の解散の時に高市総理がそんなことを言われてました。
私は別に高市推しではありませんが、この言葉は響きました。

私は比較的貧しい家で育ちました。
父親は論語をそらんじるような人間でしたが、稼ぎが悪い。
ていうか、能書きばかり垂れていて稼ぐことができない。
典型的な労働者階級でしたが、よせばいいのに独立して町工場なんかをやったもんだから、まぁ、生活は厳しかったです。
だから、高校を出たら働こうと思っていて、どうせ働くのなら国鉄が良いと思ってました。
国鉄なら全国タダで旅行ができましたから。

で、当時世界最速だった夢の超特急の新幹線の運転士になりたいと思いました。
憧れですね。
中学生のころ、東京駅に新幹線を見によく出かけました。
カバンをもってホームを歩く新幹線の運転士さんが本当にカッコよかった。

その時、周囲を見渡すと、新幹線には外人が多く乗っていることに気が付きました。
今でこそインバウンドインバウンドという時代ですが、1970年代は外人なんてあまり見かけませんでした。
そのあまり見かけない外人が、新幹線のホームや車内には結構いたんです。

私は思いました。
「そうだ、新幹線の運転士になるんだったら、英語が必要だ。」
中学生ですから、単純なものです。
外人のお客様にご案内するときに、英語ができなければいいサービスができないだろう。

そう思って、英語だけは一生懸命に勉強しました。

何年か経って、高校を卒業するときに先生から「国鉄はやめておけ」と言われました。
「どうしてですか?」と聞くと、
「国鉄は赤字でいずれ潰れるんだ。」
と言います。
「大学へ行きなさい。そして、大学を卒業するときに、君がまだ国鉄に入りたいと思っているのなら、大卒で入ればいい。」

ということで私は進学しました。
そして卒業の時、残念ながら国鉄の採用はありませんでした。
民営化するためには余剰人員を減らさなければなりません。
国鉄は何年間も新規採用をやめていたのです。

あ~あ、という感じでした。

一瞬、高校の時の進路指導の先生を恨みましたよ。
でも、誰かが何とかしてくれるわけじゃありません。
自分の人生ですから、自分で何とかしなければなりません。

そこで私は航空会社に入ろうと思いました。
国鉄は全国タダで旅行ができますが、航空会社なら世界中旅行ができるだろう。
そして、運よく航空会社に入ることができました。

運よくというのは、たまたまラッキーだったということもありますが、私は新幹線の運転士になるために英語を一生懸命勉強してきましたから、航空会社の英語の試験にパスできたのです。
人生って不思議ですよね。
全く違う世界が待っていました。

その時思ったのです。
自分の道は自分で切り開かなければなりません。
でも、そのためには「いざ鎌倉」ではありませんが、チャンスに備えておかなければならないのです。
航空会社に就職したい。
そう思ってから英語の勉強を始めたのでは間に合いませんね。
私の場合は、新幹線の運転士になるために英語の勉強を一生懸命しました。
後で考えたら新幹線の運転士に英語の勉強が必要だったかどうかはわかりませんが、中学生の時に東京駅のホームで、新幹線にたくさんの外人が乗っていくのを見てそう思って、取り組んだのです。

何が言いたいかというと、若いころはいろいろな可能性があって道が開けるのです。
でも、その道を開くためには一生懸命勉強をしておくこと。
勉強しておけば、それだけ道を選ぶ選択肢が増えますから、誰かが何とかしてくれるではなくて、自分の道を自分で開拓することができるのです。

というお話を、今日は島田市の初倉中学校で全校生徒の前でさせていただきました。

話が終わったら4人の生徒が話しかけてくれました。
4人とも電車が大好きだそうで、自分たちから近寄って来て話しかけてくれたのです。

積極的ですね。

他の生徒さんたちも、皆さん熱心に一生懸命に話を聞いてくれました。

私が中学生だったのは今からちょうど50年前。
国鉄から蒸気機関車が全廃して、失意のどん底にいた50年前。
でも、私はくじけずにどこかに蒸気機関車が残っていないかを探して、岩手県宮古市のラサ工業という会社に1両残っていることを突き止めて、卒業の春休みに友達と出かけて行ったのです。

寝台特急に乗って。

ラサ工業で整備を受けるC108

入換中

そして、この時撮影した1枚です。
まさかこの時にこの機関車が大井川鐵道へ行って、その大井川鐵道の社長になるなんてことは夢にも思っていませんでしたから、人生って面白いですね。

1つだけ言えることは、くじけずに、あきらめずに、信じた道を自分でしっかりと進んでいくことだと思います。
そうすれば必ず道は開けます。
新幹線の運転士にはなれなかったけど、自分のことは自分で何とかする。
そうやって頑張ってきたから、航空会社で働くことができたと思いますし、鉄道のことは大人になっても忘れなかったから、今、こうして大井川鐵道で働かせていただいていると思います。

今、こうして会社の窓から汽車が発車していくところを見ていると思い出すんです。

50年前に同じような位置から、この同じ機関車を見ていたんだなあと。

人生って、おもしろいですね。

この機関車にはしばらく姿を変えて頑張ってもらいますが、必ずまたもとの姿に復活させます。
それが私の思いです。

初倉中学校の皆さん、本日はありがとうございました。

一生懸命勉強して、社会に役立つ立派な大人になってください。