我思う ゆえに我あり

高田の桜は今がちょうど見ごろと聞きます。
きれいなんだろうなあ。

おととしまで5回の春を高田で迎え、雪国の春を体験した我が身としては、今頃はきれいだろうなあと思うのです。
というのも、雪国の冬はとても厳しくて、毎日毎日雪靴を履いて、雪かきをして、雪の中を仕事や買い物に出かける生活が4か月近く続くのです。
そしてやってきた春。
これは田舎を知らない東京育ちの不幸者にとって、60にして初めて知る情緒でありました。
「雪国」の駒子はもちろん、「阿寒に果つ」の純子とか、「細雪」のこいさんとか、いろいろ日本の文化の奥深さを私に教えてくれたのが高田での5年間でしたので、つまり私は私なりに「あの春の息吹を感じた私の高田での生活はいったい何だったのだろうか」と私なりにデカルトを噛んで含めるように解釈しようと努めているわけですが、そうでもしないと自分の存在自体があやふやになってしまう危惧に悩まされる今日この頃なのです。
なぜならば、多分ですけど、「行きたい」という自分の気持ちを押し殺して行きたいところへ行かないでいると、3年もすればその場所は私にとって「なかったこと」になる可能性があるからで、つまり、存在そのものが否定されていくことになるという漠然とした不安があるのです。

でも、「桜がきれいですよ。ぜひいらしてください。」と御呼ばれしているわけでもないのにノコノコと出かけていくのも気が引けるし、なんとなく未練がましく女々しい感じがしないでもないわけで、ここ一週間ほど「行こうか行くまいか、どうしようかなあ」と悩んでいたのですが、やっぱりよしておこうと思いました。

まぁ、桜はどこでも見られますからね。

ということで私がやってきたのはこちらです。

数年ぶりに来ましたけど、なんだかすっかり観光地ですね。
だって、今まではシ~ンとしていたところが、こんなに賑わっているのですから。

で、私のお目当てはもちろんこちらです。

そう、九州鉄道記念館。

敬愛する村樫四郎さんが写真展を開かれていると聞いて、どうしても拝見したくなったのです。

本日解説をいただいた入江高亘さん(右)と副館長の宇都宮照信さん(中央)です。

作品展の写真を撮影された村樫四郎さんは私よりも20歳年上の方ですから、私が生まれた時はハタチ。
当時のSLを思う存分記録することができたとてもうらやましい先輩ですが、いすみ鉄道時代にも旧国鉄木原線のC12の写真や、九十九里鉄道、東金線などのお写真をご提供いただいた大変ご恩のある方でいらっしゃいます。

▲村樫四郎さん(入江さんのFacebookページから)

昭和35年生まれの私としては、気が付いた時にはすでにSLはローカルに転じていて、優等列車と言えば日豊本線の「日南3号」や石北本線の「大雪5号」ぐらいでしたが、村樫さんの時代は未電化の鹿児島本線や長崎本線をC60が特急「はやぶさ」や「さくら」「みずほ」をけん引していた時代ですからね。
昭和30年代の九州のSLブルトレをカラー写真で記録されていらっしゃるのですから、これは本当に貴重な記録写真なのです。

それだけではありません。
会場ではC60がけん引するブルートレイン「さくら」の機関車の次位に連結された20系客車の車掌室の窓を開けて録音された昭和40年の音声が流れているのです。

これは国家的財産であると思います。

もちろん、本線特急ばかりではありません。
九州各地のローカル列車なども記録されていて、「あぁ、私の持っている写真集の写真だ」という作品が何枚もありました。

大畑ループ、立野スイッチバック、筑豊メガネ橋、白川鉄橋、本川内、松浦お召、夜の長崎駅、などなど、私が木更津でC57やハチロクを見ていた頃、村樫さんは九州でSLを追っていたのです。しかもカラーで。

という時代を彷彿させる写真展です。

行ってよかったなあ。

最近2つのことを思うのです。

1つは、あの時代はいったいどこへ行ってしまったのだろうか、ということ。
宇宙から見たら地球が何千回か回転する間に、みんな消えて行ってしまうむなしさです。
もう1つは、あれは本当にあったことなのだろうか、ということ。
もしかしたら自分が勝手に思い描いている夢か幻ではなかったのか。

でも、まぁ、私は確かに木更津で転車台に乗る機関車を見ましたし、新小岩や亀戸で真っ黒い煙を吐いて走る機関車も見ました。全国あちらこちらでSLけん引の列車にも乗りましたから、そういう経験をした者として、手の届く範囲の過去の歴史をきちんと伝えていかなければならないのだということを、あらためて考えた一日でした。

大宮の鉄博もそうですが、現役の線路のすぐ横で保存されている車両は、活き活きとして見えますね。

帰り道、香椎で途中下車してみました。

「ずいぶん寂しい所ね。」

安田に連れられてこの道を歩いたお時が言った言葉です。
当時は西鉄電車の踏切だった場所ですが、しばらくぶりに来てみたら踏切が無くなって高架になっていました。

松本清張の「点と線」の舞台がここです。

こういうことも、きちんと伝えていかないと、だんだん忘れ去られてしまいそうですね。

すべては無かったことになる危険性をはらんでいる。

「我思う、ゆえに我あり」

なのであります。

ちょっと違うか・・・