大井川鐵道本線は今週は運休しています。
倒木危険樹木を集中伐採するために、列車を運休して作業しています。
この期間が一番影響が少ない時期なので、列車を運休して集中作業するのです。
で、会社へ行っても列車の発着がありませんので、撮る写真もなく、したがって本日はブログネタがありません。
で、思い出したのが私が子供のころ、春になると電車が止まっていたこと。
国鉄の組合のストライキで、毎年春になると電車が止まっていたのです。
止まっていただけではなく、電車にはたくさんの落書きがしてありました。
自分たちの商品に落書きをしてしまうのですから、今思えばとんでもない連中だったわけですが、当時は当たり前のように行われていたので、「ふ~ん、そんなものか」的な感じだったのです。
昭和47年(1972年)のゴールデンウィークが始まった時、私がカメラを持って青梅線の撮影に行った時ですが、直前にストライキは解除されて電車は走っていましたが、落書きはそのままでした。

何度かお見せしていますが、これがその時に奥多摩駅で撮影した1枚です。
昨今いろいろなところで話題にしていただいているようですが、この写真は昭和47年4月29日、当時の天皇誕生日に紛れもなく私が撮影したもので、その証拠に、こちらは縦のアングルですが、もう1枚横のアングルも撮っています。

クモハ73の全金車ですね。
この時はすでに常磐線、京浜東北線では旧型国電は見かけなくなっていて、わざわざ青梅線に撮りに行ったのです。

青梅線の電車は大変混んでいて、奥多摩駅に到着した電車からはハイキングでしょうか。たくさんの乗客が降りていました。


これは101系ですね。
東京方面からの直通の快速電車が奥多摩駅に到着すると、そのまま入換をして午後の帰路便まで構内に留置されていました。
石灰列車はED16。
この電気機関車も白ペンキで落書きされた跡が消えずに残っています。
昭和47年という年は沖縄返還、本土復帰と日中国交正常化という大きな節目の年で、時代が大きな変わり目だった時です。
もちろん皆さんご存じの鉄道百年の年でもあって、その時私は小学校6年生でした。

昭和47年4月29日
当局マイッタカの写真を撮った時の私です。
友達のお兄さんが当時高校生で、私を可愛がってくれてカメラを持っていろいろなところへ連れて行ってくれました。
線路の中で撮っているように見えますけど、実はこの場所は奥多摩駅の立川寄りにある踏切なのです。
ここですね。
54年前に私が立っていた場所です。
ほら、反対側を見るとこの写真でしょう。

面白い時代になりましたね。
ということで昨今いろいろなところで出回っている「当局マイッタカ!」ですが、NFT認証がなくても間違いなく私が撮った1枚なのであります。
電車が走らない線路を見ていて、今日はこんなことを思い出したのでありました。
昭和47年なんて皆さん、生まれてませんよね。(爆)
いつの間にか年取ったもんですね。
記憶のあるうちに書いておかないと。
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