今日は雲仙普賢岳の大噴火ら34年だとテレビで言ってました。
当時私は30歳。
3月に3男坊が生まれて、毎晩お風呂に入れるのが役目でした。
その年の5月の末に私はロンドンへ出張で、どの飛行機に乗ろうかな。
当時は成田から直行便、モスクワ経由、アンカレッジ経由の3つの便が出ていました。
まぁ、仕事ですから遊んでいるわけにもいかず、その出張では私は直行便に席を取っていたのですが、当時まだB747ジャンボジェットの‐400(ダッシュ400)は就航する前で、直行便とモスクワ経由は長距離用の‐200。
アンカレッジ経由は航続距離が短くて一番オンボロの‐100でしたが、そのアンカレッジ経由が前の晩に成田で故障しまして、お客様に成田のホテルで1泊していただいた後、翌日のヨーロッパ便に振り替えて乗っていただきました。
300名から予約が入っていて、自社便だけでは席が足らず、JALやエアフランスなどに振り替えをしたのですが、その時、オーストリアでオペラか何かの観劇ツアーがありまして、添乗員さんがどうしても時間までに行かなければならないと大揉めに揉めました。
私は、
「ではバンコックまで飛んでいただき、そこからラウダエアーに乗り換えてウィーンへお入りになったらいかがですか?」
とご案内しました。
そのコースならグループ全員分座席が取れますし、それに乗れば予定の観劇に間に合いますから。
添乗員さんは一旦は納得したのですが、旅程変更を会社へ連絡すると、
「ラウダエアーという飛行機は、自社が使う航空会社のリストに入っていないからダメだ。」
ということになりまして、会社の方でオペラの方は予約を取り直すから、エアフラだかルフトだかで行けと言うことになりました。
まぁ、飛行機が故障したりトラブったりすると、お客様を振り分ける時にたいていこうして揉めるのです。
そして、当然のように翌日私が乗る予定だった直行便の座席も他のお客様に振り替えられて席は無し。
「さぁて、どうしたものか。」
と思っていたら、前の晩に故障したオンボロの‐100が直ったので、乗るか?という話になりました。
もともとアンカレッジ経由だったその飛行機は、アンカレッジでは代わりのクルーが居ないということでバンクーバー経由となりまして、では、それに乗せていただきましょう、ということで機内に入るとなんと乗客は私一人だけ。
あとは15人のキャビンクルーと3人のパイロット。
あのデカいジャンボジェットにたったそれだけ。
最も私もスタッフですからお客じゃないので、機内に入るとすぐに左に曲がって、つまりファーストの席。
好きなところに座れと言うことで2Aに座りました。
で、機長が、「コックピットへ来るか?」
私は成田を離陸する時とバンクーバーに着陸するときはコックピット。
バンクーバーではこともあろうに着陸のやり直し。
つまり、ゴーアラウンドというやつね。
で、バンクーバーに着いたらすぐに交代のクルーが乗って来て、給油が済んだらすぐに出発するぞと。
私はまたコックピットに居たのですが、なんだか様子が変。
「う~ん」
どうやらまた故障したみたい。
1時間ぐらいすったもんだをして結局バンクーバーを離陸して北極圏を通ってロンドンへ向かいました。
上空を飛行中のコックピットって実は面白くもなんともないので、私はファーストの席で数時間眠って、目が覚めると客室のクルーが皆ファーストに集まっていて、「おはよう。」
で、機長がクルー向けにラジオを機内にかけたのです。
飛行機の航法装置(方向探知機)はラジオの周波数帯を使っているので、英国圏に入るとBBCなどの英語放送が入るのです。
今のようにWifiもなく、映画はVHSのカセットを入れて同時に全員が同じものを見る時代です。
お客様はゼロですから、機内には最新情報のラジオが流れています。
クルーも気楽なものです。
するとどうでしょう。
ラジオからショッキングなニュースが流れました。
「バンコックからウィーンへ向かっていたラウダエアの飛行機が墜落した。」
というニュースです。
飛行機の中で飛行機が落ちたニュースを聞くのも冷や汗ものですが、その墜落したラウダエアの飛行機は、2日前にウィーンでオペラを見るためのグループが乗るはずだった飛行機なのです。
それも、私が勧めたコースでした。
添乗員さんが連絡した時に旅行会社の人が「乗っちゃダメ」と言わなかったら、あのグループは間違いなくその飛行機に乗っていたのです。
冷や汗が出ましたよ。
というようなことがありまして、ロンドン出張が終わり、帰路につきます。
「鳥塚さん、帰りはいつ?」
仲良しのクルーからそう聞かれて、彼女が乗務する便を選んで帰路もアンカレッジ経由。
おかげさまでその便は故障せずにちゃんと飛んで、私は仲良しの彼女のサービスを受けながらアンカレッジのトランジットでうどんを食べて日本に帰り着いたのであります。
で、お家へ帰ったら3月に生まれたばかりの3男坊が私の顔を見て泣く。
抱っこをしても、お風呂に入れても大泣きです。
おまえ、たった1週間でもう父親のことを忘れてしまったのか?
こいつは莫迦なのか?
とまあ、そんなことがありまして、一晩明けたら雲仙普賢岳がドカン。
ものすごい大噴火で、しかもその噴火の様子がテレビで中継されて惨状が目の当たりになりました。
今でこそ生中継など当たり前ですが、当時としてはかなりショッキング。
ラウダエアの墜落と言い、3男坊のお莫迦と言い、雲仙普賢岳の噴火と言い、34年前の今頃は3つのショックを同時に味わっていたのであります。
というようなことを思い出しました。
で、この雲仙普賢岳の大噴火で大きな被害を受けたのが裾野を走る島原鉄道で、数年間運転ができない状態になりました。
数年後、復旧した新しい線路を列車が走るということで、私は乗りに行ったのであります。




当時の島原鉄道。
昭和のキハが走るとてもいい鉄道でした。
でも、残念ながらその噴火の被害を受けて立ち直ったはずの区間が、さらに数年後には利用客の低迷で廃止になってしまいました。
この時の構内の景色やキハのエンジン音が忘れられなくなった私は、こういう鉄道を未来につなげたいと考えまして、それからさらに数年後、この世界を再現するべくキハを走らせてみたのであります。
今日は雲仙普賢岳の大噴火から34年。
この後、大きな災害が次々と日本列島を襲っています。
思えば日本は地球の活動期に入ったような気がしないでもありません。
このところ、各地で地震が頻発していますし、大雨の季節にも入りました。
今年は大きな災害がないことを祈る毎日です。
最近のコメント