師走の雑踏
ボクは軽い足取りで交差点を渡っていた。
今年もあと半月あまり。
道を急ぐ人たちが何人もボクを追い越していく。
「10分前か」
ちょうど来た電車が急行電車だったので予定よりも少し早く着いてしまったようだ。
道路にかかるガードの上を緑色した電車がだんだんと加速しながら通り過ぎる。
その瞬間、雑踏の音がすべてかき消される時間が流れる。
何本か電車が通り過ぎた時、ふと振り返ると美女が立っていた。
「ごめんなさい、少し遅くなっちゃった。」
時計を見ると約束の時刻を少しまわっている。
「お待たせしちゃった。怒ってる? 怒ってないですよね?」
上目づかいにボクを見る美女の目がいたずらっぽく笑っている。
「大丈夫。ボクも今来たところだよ。」
「そう? よかった。」
わずか数分待たされたぐらいで怒るはずがない。
今日はボクの方から誘ったのだから。
それも、意を決して。
何時間でも待つつもりでいたし、来ないかもしれないとも思ってた。
来なければそれでもいいと思ってたのだから、数分の遅れで来てくれた彼女の笑顔に安堵したぐらいだ。
だから、彼女のいたずらっぽい目を見たときに、ボクよりもずっと先を急いでいた自分の心に気が付いて、思わず苦笑してしまった。
「ねえ、どこへ連れて行ってくれるの?」
「そうだな、このあいだ話していた、ほら、あの店に行ってみようかと思って。」
「うわぁ、うれしいわ。でも、あのお店、混んでるんでしょ?」
「大丈夫。ちゃんと予約しておいたから。」
ボクがそう言うと彼女はにっこりと笑って、スッとボクの腕に手を滑り込ませた。
2人はざわめく交差点を渡り、雑踏の中を歩き始めた。
小さな階段を上がった2階のお店。
窓際の席に座ると混雑する表通りがよく見える。
おもしろいことに駅へ向かう人波と、駅を背に坂道を登る人波が交差している。
駅へ向かう人たちは皆一人で足早に歩き、それとすれ違う人はたいていカップルで、歩く姿もゆっくりとしている。
ボクたち二人もゆっくりと歩いてこの店にやってきた。
「このお店、このあいだ雑誌に出てたのよね。」
「そうだね。キミが話してたから気になって調べたんだ。」
「予約してくれたの? お席取るの難しかったでしょう?」
そう、このお店は人気のお店。
でも、クリスマスならともかく、ふだんの週末ならそれほど混んでいるわけでもなかった。
気取った足取りでウエイターがやってきた。
「ワイン貰おうかな。」
「私は白がいいわ」
「じゃあ、ボクは赤」
運ばれてきたワイングラスを手にすると、グラスの中に街の光がキラキラと揺れていて、その向こうに美女の笑顔が輝いていた。
***************************
「ねえ、どうしてあの時私を誘ったの?」
見慣れた美女が隣りに座った。
雪山が見える高原のテラス。
あれから半年が過ぎて、今は初夏。
萌黄色の樹々の中をさわやかな風が抜けていく。
「あの時って?」
「あなたが最初に私を誘ってくれた時。」
ボクはちょっと考えてから答えた。
「去年の12月の10日だったね。」
「そう。急に言われてびっくりした。」
「うん、ずっと前からキミのことが気になっていたんだ。でも、絶対に彼がいると思ってた。」
「・・・・・」
「もうじきクリスマスだったろう?」
「そうね。」
「クリスマスにデートに誘っても、絶対に断られると思ってた。」
「どうして?」
「だって、ふつうだったらクリスマスなら彼との約束があるだろう?」
「・・・・・」
「約束がなくたって、『忙しいわ』って言われたらそれ以上何も言えないじゃないか。」
「だから・・・」
「そう、だから先手必勝。クリスマスの前に誘ったんだ。」
彼女はカフェオレのカップをテーブルの上に置いてボクの目を見つめた。
すべては悪友のアイデアだった。
「お前、彼女にアプローチするのか? クリスマスも近いし、いいタイミングだと思うよ。」
「でもさあ、たぶん彼がいると思うし、クリスマスに誘うなんて、なんだか下心見え見えじゃないか。」
煮え切らないボクの顔を見ながら、彼はこう言った。
「だからさあ、クリスマス前に誘うんだよ。」
「クリスマス前?」
「そうさ。今年のクリスマスイブは金曜日だろ。その2週間前の金曜日にデートに誘うんだ。」
「ほう、で?」
「それで、さりげなく、『今度また会える?』とか言って、クリスマスにブッキングしちゃうんだよ。」
「なるほどねえ。でも、そんなんでうまく行くのか?」
「さあね、あとはお前の腕次第じゃないか?」
「腕?」
「口説けるかどうかだよ。」
「・・・・・」
「まぁ、頑張ってみることだな。」
悪友がそんな悪知恵を授けてくれた。
そして最後にこう付け加えた。
「俺が聞いたところによると、彼女は今、彼いないらしいぞ。」
ボクは見慣れた美女の目を見ながら言った。
「クリスマスの前にキミを誘って仲良くなって、クリスマスもボクとデートしてもらおうという魂胆だったのさ。」
「馬鹿ねえ」
「どうして?」
「だって、彼なんかいなかったのに。」
今度はボクが持っていたコーヒーのマグを置いた。
「あなた、強引だったわよ。」
「そうかなあ。」
「そうよ。運ばれてきたワインで乾杯しながら何て言ったか覚えてる?」
「さあて・・・」
もちろん覚えてるけどわざと忘れたふりをした。
「『キミが白ワイン、ボクが赤ワイン。混ぜたらロゼだね。』 あなたはそう言って、半分飲んだところで私のグラスに赤ワインを注ぎ込んでロゼにしちゃったのよ。覚えてる?」
「ははは」
ボクは思い出したふりをして笑った。
「そうして、ロゼワインにして半分を自分のグラスに戻して乾杯したの。」
「そうだったね。」
「あの時、何て言ったか覚えてる?」
「さて、何だったかな?」
「意地悪ねえ。覚えてるくせに。」
「ちょっとだけ覚えてる。」
美女はこちらを向いて、ボクの目を見つめながら、
「あなた『これで一緒だね』って言ったわ。」
「うん、確かに言った。」
「そうよ。ずるいわ。」
「何が?」
「だって・・・」
「2人で別々のワインを頼んだけど、同じものが飲みたくなっただけだよ。」
***************************
彼女が寝室のドアを閉めてリビングに入ってきた。
「子供たちは?」
「今寝たところ。」
「今日もお疲れさま。」
「あなたこそ。ずっと運転させちゃって。」
リビングのソファ。
いつもの美女がボクの横に座った。
高速道路を下りて一本道の坂道を登りきったところにある高原のホテル。
雪山が好きな彼女と暮らすようになって、いつの頃からか休みの日には家族でここに来ることが定番となっていた。
寝室とリビングが分かれた2間続きの部屋。
奥の部屋では子供たちがすやすやと寝息を立てている。
「思い出すわねえ。あなたと最初にここへ来た時のこと。」
「そうかい?」
「そう、あなたはいつも私の話をはぐらかすの。きちんと最後まで答えない。」
美女はボクの手に自分の手をのせてそう言った。
「そうだっけ?」
「そうよ。」
「だって、キミはボクが何を言おうと信じないじゃないか。だから行動で示すしかない。」
「そうね。あなたは本当にそういう人。」
「・・・・・」
「ねえ、ワインでも飲みたい気分よね。」
「ああ、そう来ると思ったよ。」
ボクは立ち上がって冷蔵庫の中からワインのボトルを取り出した。
ハーフボトルの白ワインがしっかりと冷えていた。
「あら? どうしたの?」
「キミがそう言うと思って、さっきルームサービスで頼んでおいたんだ。」
そしてボクはバーの扉を開けて中から赤ワインのボトルを取り出すとソファーに戻った。
「ほら、赤と白だよ。」
「用意してくれたのね。ありがとう。」
「だってキミはボクが何て言っても信じてくれないだろう。」
「だから態度で示すしかない・・・・でしょ?」
「そう、自分の一番大切な人に、先手先手で行動するようにね。」
「そうね。あなた、あの時と同じ。」
「あの時って?」
美女はボクの目を見ながら言った。
「クリスマスの前に私を誘ってくれた時。」
ボクはちょっと恥ずかしくなった。
あれからずいぶんの月日が経ったけど、やってることは変わらないってことだ。
「『君には彼がいるだろうから、その彼とのデートよりも先に予約しちゃえば』って、あなたはそう言ったわ。」
「ああ、確かに言った。」
「そして私はそのあなたの罠にまんまとはまった。」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。」
「大丈夫、誰も聞いてないわ。」
「だからキミはボクが何を言っても信用できないと思ってる。」
「はい、でも、私はこうしてあなたと一緒」
ワイングラスを手に持ちながら彼女が言った。
「ねえ、ちょっと外に出てみない?」
美女に促されてボク達はテラスに出てみた。
「お月様きれいね。」
「本当だ」
「ねえ」
彼女はそう言って半分飲んだボクの赤ワインのグラスに自分のグラスの白ワインを注ぎ込んだ。
「一緒に飲まない?」
いたずらっぽく上目づかいでボクを見る彼女の表情はあの時のままだ。
「いつも一緒がいいわ。これからもずっと一緒よ。」
夜空に白く浮かぶ雪山を見ながらボクたちは同じ色に染まっていった。
※この物語はフィクションです。
写真と本文は関係ありません。
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