昭和51(1976)年3月のことです。
高校受験が終わった時には国鉄線上から蒸気機関車の姿は消えていました。
その前年の昭和50年12月14日に、今、大宮の鉄道博物館に保存されているC57135号機がけん引する室蘭本線のSL最終旅客列車が走り、日本の鉄道路線から旅客列車を引く蒸気機関車の列車が消えました。
その10日後の12月24日にはD51241が引く夕張線の石炭列車が日本のSL最後の貨物列車として運転されて、この時点で国鉄線上の旅客列車、貨物列車という営業列車から蒸気機関車は完全に姿を消しました。
年が明けて昭和51年3月2日に追分機関区で構内入換に残っていた9600形が火を落とされて、これで国鉄線上から完全に蒸気機関車の煙は消えてしまいました。
蒸気機関車最後の年の昭和50年に私は中学3年生。
高校受験に向けて勉強しなければならない年で、北海道に残っていた最後の蒸気機関車を毎日のように気になりながらも、逢いに行くことができませんでした。
そして、受験が終わった時には、もうすでに消えてしまっていたのです。
思春期の男子にとってはこれほどつらいものはありません。
私は、取り返しがつかないことをしました。
大事な時間を逃してしまったと思いました。
落胆の日々です。
本当なら受験が終わって晴れやかな気分になれるところでしょうけど、そんな気持ちにはなれそうにもありませんでした。
そんな時、まだ蒸気機関車が走っていることを知りました。
それも国鉄形の機関車が走っている。
場所は岩手県宮古市の工場の専用線。
当時のことですから詳しい情報などわかりません。
でも、私はとにかく行くしかないと思いました。
上野から夜行列車に乗って、盛岡から山田線に乗り換えて宮古に着きました。
そしてやっと逢えたのです。
機関車によじ登ってナンバープレートの拓本を取る中学3年生の私です。
当時から機関車のナンバープレートは高価で取引されていて、とてもじゃないけど中学生の手に入るものではありませんでした。
でも、こうすれば自分のものになりますよね。
構内入換をする機関車。
長い貨物を引っ張り出してトンネルに向かいます。
私はこの機関車を上から見てみたくなって、トンネルの上に上がりました。
作業をしているお兄さんたちが「気をつけろよ」と言ってニコニコしていました。
この時が1976年ですから、すでに48年という歳月が経過しています。
あっという間ですね。
でも、この時、くすぶっていた私の気持ちを晴らしてくれたのがこの機関車なのです。
この経験があったからこそ、私はあの時からずっと鉄道が好きで、鉄道に夢中になってくることができましたし、だから、今、ローカル線の活性化などと言う仕事で鉄道を盛り上げる仕事をさせてもらっているのです。
そして、一旦後悔したことでも、あきらめずに何とか踏ん張って頑張れば必ずチャンスが回ってくる。その時にそのチャンスを自分の手でつかめば納得がいく人生を送ることができる。
そんなことを教えてくれたのがこの機関車です。
本当にありがたい経験をさせてもらったと思います。
そして、なんという奇跡なのでしょうか。
この機関車がまだ現役で走っているのです。
私にチャレンジする気持ち、チャンスをつかむ気持ち、前に進む気持ちを教えてくれたこの機関車が、まだ現役で走っている。
そして、今、決して良い状況に置かれてはいないことも知りました。
だとすれば、私ができることはただ一つです。
私を導いてくれたこの機関車、私の人生を幸せなものにしてくれたこの機関車に、今こそ私は恩返しをするべきではないでしょうか。
この機関車のために、そしてこの機関車を今でも大切に保存して可愛がってくれている鉄道のために、私は自分の経験と能力と人脈をすべて注ぎ込んで感謝の意を伝えたいと思います。
人間は持てる力を惜しみなく発揮しなければなりません。
私にできることはわずかかもしれませんが、力の続く限りお仕事をさせていただこうと考えています。
皆様、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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