幽霊の正体見たり 枯れ尾花

今回の新型コロナウイルスは人類にとって未知との戦いですね。

リスクに対してどう備えるか、どう対処するか、どう受け入れるか。
例えば3密を避ける。
3密は初めて聞いた言葉。
「密閉」「密集」「密接」。
そして、移動の制限。

人間というのは集まって、触れ合って、接し合って、確認し合って生きている動物です。
そして、近距離、長距離を問わず移動しながら交易、交流を行なうことで発展してきました。
今はそれがすべて否定されています。

どのようなものかがわからない相手と戦うのですから、ある時期、そういう活動を控えなければならないのは理解できます。ウイルスの特徴が、そういう人間が人間であるための行動によって蔓延していくらしいということであれば、ある時期、ある期間は我慢しなければならないということですね。

でも、最近ではコロナが終息した後も、私たちは今までの生活には戻れないというような意見までささやかれ始めました。
それって、いったいどういうことでしょうか。

例えば、テレワークに十分な仕事は今後も出社することなくテレワークになって行くとか、リモート会議で十分であれば出張は必要ないなど、今回のことでいろいろわかったことがありますね。
だから、コロナが終息したとしても、今までの通りに「のぞみ」に乗って同じような出張旅行が再開されることはすぐには考えられませんから、まあ、たぶん「のぞみ」の毎時12本なんてことはなくなるかもしれません。
あるいは、コロナの自粛によって職場を失ってしまう人も多くいらっしゃるでしょう。
そういうような、環境の変化によるライフスタイルの変更を余儀なくされる方はいらっしゃるかもしれませんし、そういうビジネスを提供している会社にとってみれば、今までと同じスタイルで会社の業績が回復するものでもないと思います。

ただ、昨今言われているコロナ終息後のライフスタイルの変更というのは、「3密」と「移動」を今までと同じようにやっていくことができない前提にありますという論調に聞こえますので、だとしたら私たち人間という動物の生き方を否定するのではないかと思うのであります。

コロナで自粛を求められている飲食店やパチンコ屋さん。
あくまで「自粛」と言いながら、従わなければ名前を公表するという話。
そして、その名前を公表するのは県の仕事で、国は県に対してそういう権限を与えますという。
でも、学者さんがぴったりと横についていて、専門家会議で指導しているのは国側の話。
なんかおかしいですよね。

だったら、自分の判断で自粛を解除しましょうと言ったのがこの間の大阪知事の話ですが、ウイルスの特性や、どうやったら蔓延を防ぐかという知識は専門家に委ねるとして、どうしてこれから先の将来の人間の生き方までをも専門家に委ねる必要があるのか。
というのが、私の疑問です。

江戸時代に、世の中の運営がうまく行かなくなって、江戸幕府が学者を登用しました。
例えば新井白石の「正徳の治」でしたっけ。
あの場合は経済運営に行き詰まったのですが、江戸時代だけでも何度も何度もそういうことがあったし、古くは卑弥呼の時代などは疫病が流行った時には占い師だったり、祈祷師だったり。
時の権力者がどうして良いかわからなくなったときには、そういう人たちが出てくるのは世の常でありますが、今回は安倍政権がどうして良いかわからなくなったので専門家チーム。
つまりは学者です。

でも、専門家チームはあくまでもウイルスの蔓延を食い止めるための知識を持ったチームであって、限定的なPCR検査など、その思考の根拠となっているのは医療崩壊させないこと。何となく国民を病気から救うためのアドバイスという観点が感じられません。

自分で注意して、自粛して、病気にかからない様にしてください。
たくさんの人が一度に病気にかかったら、病院が耐え切れなくなって、医療崩壊が起こります。
そうしたら、本来必要な医療を提供できなくなります。

そりゃ、専門家は病院の側ですから、病院を守ろうとするのは当然として、それをそのまま政治家が「専門家がこう言っているから自粛してください。」「専門家が言ってるから『3密』は悪です。」「専門家が言ってるからパチンコ屋は営業自粛してください。」としか聞こえませんから、今の政権は終わりだろうなあというのが先日のブログ。

感染症の専門家的にはそういう意見かもしれませんが、今後の国の在り方や、国民の生き方まで専門家の言うとおりにするんですか?
だったら感染症の専門家だけじゃなくて、経済の専門家や、交通や物流の専門家、文化芸術の専門家などの意見も聞かなければならないと誰もが思うでしょうけど、安倍さんも麻生さんも岸田さんも、なんだか本当に後手後手ですね。一番のお爺さんの二階さんが、「お前ら何やってるんだ。そんなことじゃ国民は納得しないぞ。」と喝を入れてるって、なんなのでしょうかね。

姿形の見えない相手におびえるのは古今東西いつの時代も当然のことではあるかもしれませんが、「来るな!」とピケを張って車のナンバーをチェックしたり、自粛していない人間やお店をチェックして歩いて鬼の首取ったりするような地域や人種が「欲しがりません勝つまでは」の時代の話じゃなくて、今の時代でもやはりいるのも古今東西の事実なんですね。

姿の見えない敵におびえて、相手を攻撃してしまう。
戦う相手はウイルスであって、その姿が正確に把握できないばかりに大げさになって、一緒に戦うべき相手を攻撃してしまうということをやっているのに、自分の正義感に満足している滑稽な人たち。

姿の見えないウイルスに恐れをなして活動をストップして、お店を失い、職を失い、文化を失うようなことになるぐらいなら、お店を続けて、活動を続けて、生活していくことを選んだ方が生き残れるかもしれません。なぜなら、居酒屋さんもパチンコ屋さんも、生きていくための商売ですから、自粛で倒産するリスクと、営業継続で病気になって倒産するリスクとを比べたら、営業を継続するという選択肢もあるわけで、それが「悪」だという根拠は、医療崩壊させる可能性があるからという論調だけというのであれば、営業を続けるパチンコ屋さんをもそうだし、ブラジルの大統領のことも、一概に責めることはできないのではないでしょうか。

なんとなくピークが過ぎた感があって、人々が油断していると言われています。
その油断があると、必ず第2波がやってくる。
そう言われていますね。

でも、第1波と第2波があるのであれば、その間の穏やかな時期に一斉に動き出して食いつなぐための努力をするべきだという考え方もあるでしょう。じゃなければ、このまま自粛を続けたら医療崩壊の前に社会崩壊が起きてしまいますから。
専門家の言うことを聞いて医療崩壊は防ぐことができました。でも、皆さん生きていけなくなりましたではお話になりませんし。

例えば環境問題に置き換えてみたらどうでしょうか。
二酸化炭素排出は悪である。
だから飛行機も自動車も悪。
飛行機は飛ばなくなって、自動車は走らなくなれば、とても素晴らしい環境になります。
確かにそうですね。
で、実際に今回のコロナで世界中がそうなりました。
経済活動が停止して、移動が停止して、空気がきれいになりました。
めでたし、めでたし。

とはなりませんよね。

人間が生きて行かれなくなるのですから。

今までは自分たちが生きていくために地球環境をどんどん汚していくだけでした。
そういうことに対する疑問が環境問題でしょう。
では、人間が活動を停止して地球はきれいになりました。
でも、人間は生きていくことができなくなりました。
それじゃあ意味がありませんね。

それと同じことです。
山中教授が「長期戦ですから、ウイルスとどうやって上手に付き合っていくかが求められます。」と言っている意味はそこでしょう。

第1波の引き潮に乗じてできるだけ沖合に出かけて魚をたくさん捕まえて、第2波が来たらまた静かにじっとしている。
それだって一つの生き方かもしれません。

地域によってはバーやキャバレーを除いて飲食店の営業もボチボチ再開してきているようです。

新型コロナウイルスは、もしかしたらほとんどの人が知らないうちに感染して、知らないうちに治っているかもしれない。
必要なのはPCR検査ではなくて、抗体検査だと言いだしている人たちもいますね。

抗体検査で「罹ったけど治っている人」がわかれば、そういう人なら外出自粛する必要もないかもしれません。
「県外ナンバーですが、私は地元民です。」などという証明をもらうぐらいなら、「私は抗体検査で陽性になりましたから、もう罹りません。」というカードを首にぶら下げて、堂々と街中を闊歩してバーやキャバレーにもパチンコ屋にも出入りできる時期がもうすぐ来るかもしれませんよ。
まあ、それだって数年後には再度罹るかもしれませんが、その時は薬もできてるでしょうし。

とにかく、正体がわからない相手に対して、あたふたしたり、一喜一憂したり、あるいは他人をののしったり、他人の行動を監視したり干渉したり、そういう行動はやめた方がよろしいのではないかと、現時点で私はそのように考えております。

幽霊の正体見たり 枯れ尾花。

慌てふためいて、焦りまくって、「ああ、あの人はああいう人だったんだ。」と思われないようにしないこと。

さもないと、お里が知れてしまいますから。