記念乗車券発売のお知らせ

10月に発売した旧北陸本線シリーズに続き、今回は旧信越本線シリーズの記念乗車券を発売します。

以前にもお話しさせていただきましたが、トキ鉄に来て沿線を歩いていた時に、妙高高原駅でふと跨線橋の銘板が目に留まりました。


▲これです。

跨線橋というのは線路を渡って反対側のホームへ行くための通路。
昔はいろいろな駅にありましたが、最近では地下化や橋上駅化、あるいは線路そのものが高架化されたりして、大きな駅ではだんだん少なくなって来ています。
また、バリアフリーの考え方から、利用者数が一定数以上いる駅でエレベーターを付けたりしているのですが、トキ鉄では直江津、高田、糸魚川にはエレベーターが付けられていますが、妙高高原駅では利用者が少ないため、JR時代からエレベーターがなく、トキ鉄はそのまま引き継いで現在に至っています。

妙高高原駅はお隣のしなの鉄道との接続駅です。通常、こういう駅はJRから転換するときに両社の共同使用駅となるのですが、不思議なことに妙高高原駅はトキ鉄の駅になっています。でも、実際の利用者は、特に観光でいらっしゃる方々は長野方面からいらっしゃいますので、収入のほとんどはしなの鉄道に入ります。

つまり、そういう駅に対してトキ鉄が跨線橋の改築や駅舎の改築をするということは収入構造上できないのです。
そう、ここ妙高高原駅はいろいろ問題を抱えている駅なのです。

そんなことを考えながら駅構内を歩いていた時に私が見つけたのがこの跨線橋の銘板。

ふと見ると、竣工日が昭和34年(1969年)12月21日となっています。

「ああ、もうじき60歳になるんだ。」

信越本線のこの区間が電化されたのが昭和41年(1966年)ですから、この跨線橋はまだ蒸気機関車が走っていた国鉄時代からずっと信越本線を見つめてきたことになります。
今は大人の事情で県境で鉄道が分断され、バリアフリー化できない跨線橋は厄介者扱いされていますが、記録的な豪雪の時もしっかり輸送を支えてきて、かつてのスキーブームで乗せきれないほどの乗客であふれかえっていた当時からの歴史がこの跨線橋にはあるんです。
なにしろ当時の新潟県内では正月3が日の切符の売り上げは新潟駅、長岡駅に続いて妙高高原駅は第3位だった時代があるのですから。

そう考えると私にはこの跨線橋がとても愛おしく見えてきたのです。

それで、市役所や地域の皆様方に「信越本線の昔の写真はありませんか?」と尋ねたところ、いろいろ出てきたものですから、「それじゃあ、この写真を使って記念切符を作りましょう。」となりました。

題して「妙高高原駅(旧田口駅)跨線橋竣工60周年記念。」

ふつうはあり得ない「記念」かもしれませんが、来年還暦を迎える私にとって、この跨線橋が愛おしいのはもちろんですが、スキーブームであれほど賑わった妙高高原駅や信越本線そのものも大きな、そして大切な歴史なのです。

何百年も前の武将やお寺だけが歴史ではありません。
こういう手が届く時代の歴史を大切しないところは歴史の町なんて言えないと思います。

ということで、こんな切符を作ってみました。
(この図柄はサンプルです。この後校正が入っていますので、実際のレイアウトは少し異なる部分があります。)

跨線橋が竣工したのと同じ12月21日に発売いたします。

詳細については えちごトキめき鉄道ホームページ をご参照ください。

妙高高原駅に着いては新潟県と長野県との間には色々な課題があって、そういうことはいずれ解決していかなければならないのはもちろんなんですが、並行在来線というのは大人の事情で線路は県境で区分けされていますが、実際にはつながっているんです。
だから、しなの鉄道さんあってのトキ鉄ですし、しなの鉄道さんあっての妙高市なのですから、トキ鉄としては、大人の事情は置いといて、やはり鉄道会社同士、きちんと連携して列車を走らせていくことが大切なのではないか。

そして、それが地域にとっても、この国にとってもプラスになるのではないか。
なぜなら妙高高原は世界的なリゾート地なのですから、このインバウンドの時代に、お国に貢献できるところでもあるからです。

そんな気持ちを込めて、長年鉄路を守ってきてくれた先人たちや駅設備に敬意を表して、こんな切符を作ってみました。

ということで、妙高高原駅にお客様がたくさん乗り降りしていただけるようになって、バリアフリーの設備が作れるようになることが私の目標であります。

皆さん、トキ鉄が自信を持って作ったこの切符、どうぞお求めください。