今、YAHOOニュースで食堂車について書こうと思っていろいろ調べているのですが、時刻表に出ている食堂車のメニューが面白くて、思わず見入ってしまいます。
私は1976年の夏休みに1か月間上野発の特急列車の食堂車でアルバイトをしたことがあります。
どうしても特急電車に乗っていろいろなところへ行ってみたかった高校1年生16歳でした。
乗った列車は「ひたち」「とき」「白山」「やまばと」「はつかり」
全部の列車に食堂車が付いていた豪華な時代でした。
でも、1976年の時刻表のページには食堂車のメニューが載っていないんです。
今、すぐ出てくる昔の時刻表は1972年3月号。
新幹線岡山開業の時の白紙ダイヤ改正号ですが、その時の時刻表のページに乗っている食堂車のメニューです。
拡大してみます。
▲新幹線のメニューです。
当時は新幹線に食堂車ができる前でしたから、ビュッフェですね。
▲こちらは在来線です。
在来線には特急列車は食堂車でしたが、ほとんどの急行列車はビュッフェでした。
長距離を走る機関車牽引の急行列車の一部に食堂車が残っていましたが、この年の11月、北陸トンネル内で食堂車から出火した列車火災が発生し、多くの犠牲者が出た事故で、当時、出火の原因となった石炭レンジを使用する食堂車が全廃したため、電熱調理器を使用する特急列車の食堂車だけが生き残りました。
急行列車のビュッフェは1両の半分がビュッフェで、残りの半分が客席という構造で、路線別に蕎麦やさんだったり寿司屋さんだったり、特徴がありました。
メニューに蕎麦があるのはそのことです。
ところが、この後になると時刻表から食堂車のメニューが消えています。
国鉄は積極的に食堂車を宣伝しなくなっていったのだと思います。
私が食堂車でアルバイトをした1976年はそういう過渡期だったのですね。
そしてこちらが1978年9月の時刻表。
新幹線に食堂車が誕生し、「ひかり号の食堂車」として時刻表に掲載されています。
減少傾向とはいえ、在来線にも食堂車は残っていましたが、メニューもだいぶ少なくなっていたと思います。
ひかり号の食堂車で特筆すべきは営業している事業体が異なっていること。
列車によって都ホテル、帝国ホテル、日本食堂、ビュッフェとうきょうなどの事業者が乗り込んで、オリジナルのメニューを提供していたのです。
すごいと思いませんか?
都ホテルのサーロインステーキ、3000円。
今じゃなくて40年前の値段ですよ。
食べる人がいたんですね。
ちなみに私が1979年に京都の大学を受験するために乗った「ひかり」の食堂車で食べたのはもちろんカレーライス。
このメニューで言うと、帝国ホテルの特製ビーフカレーが550円。
うまかったなあ。
大学は落ちましたが・・・
1972年の新幹線のビュッフェのメニューではカレーライスが180円でしたが、6年後の1978年には550円。
これが当時の狂乱物価というやつです。
とにかくインフレが激しかったことが、食堂車のメニューからもわかるというものです。
わずか6年で420円のビーフシチューが1550円~1700円。
今の時代に欠けているのは物価の上昇だと思います。
この当時ほどではないにしろ、物価さえ上がれば経済のほとんどが解決するんですけどね。
10年で給料が倍になれば、住宅ローンだって実質半分になるんですから、もっともっと経済が活発になるのです。
ただし、年金生活者が大変なことになるというおまけがついてきますが。
未来あるものと、過去あるもの。
難しい問題ですねえ。
なにしろ1972年に180円だったカレーライスが6年後の1978年には550円。
それから40年経った2019年に、もし食堂車が残っていたとしても、カレーライスはせいぜい1500円でしょう。
今もし、カレーライスが3000円ぐらいになっていたら、大学生の初任給が40万円ぐらいになってるんじゃないでしょうか。
何が幸せかはわかりませんが、少なくとも国債などの国の借金は半分以下になっているのではないでしょうか。
と、私にとってはそんなことを考えさせられる食堂車のメニューなのであります。
貧乏人としては多分今でもビーフシチューなどは注文しないとは思いますが・・・
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