札幌への憧れ

昭和50年、中学3年生の時に初めて北海道の土を踏んでから、北海道には何回ぐらい行ったでしょうか。
過去の手帳をすべて見直せば回数はわかると思いますが、あれから37年経過しているわけですから、1年に5回としても150回は優に超えている計算になります。
では、なぜそんなにも北海道に魅せられてしまったのかというと、当時は蒸気機関車も走っていたし、列車も旧型客車だったので、汽車旅が楽しめたのはもちろんのこと、食べ物もおいしいし、雄大な景色は東京育ちの私にとっては素晴らしく見えたのも事実です。
でも、一番、北海道を好きになるきっかけとなったのは、札幌地下鉄の駅構内で見かけたコレです。

「札幌市民憲章」とかかれた札幌市民の標語です。
今でこそ、こういうことを掲げている市町村はあちらこちらにあると思います。私が住む佐倉市も佐倉市民憲章を定めていますが、40年近く前にすでに札幌には町の中にこれを掲げてあって、市民の人たちが自分たちの町に誇りを持って生きていたのです。
当時10代だった私にはとても新鮮な驚きでした。
東京や大阪などの大都市では公害が激しく、町の美観などあまり大切にしようという気風はありませんでした。
ゴミだって分別収集してませんでしたし、タバコや新聞紙などのポイ捨てもあたりまえの時代に、「市民憲章」ですから、理解するのにも時間がかかったことを覚えています。
当時の北海道は炭鉱と漁業、林業、農業などが基幹産業で、今のように観光地化されてはいませんでした。
人々の生活はどちらかというと貧しくて、鉄道だって蒸気機関車が残っていたということは一番近代化されていなかったわけですから、町も人々も何となく垢抜けていなかったのです。
札幌に地下鉄を作ろうという話になった時には国会で「北海道に地下鉄を作ってクマでも乗せるのか?」と揶揄されたほどですから、その札幌の地下鉄の駅にこのような市民憲章が掲げてあるのを見た時には本当に驚いたのでした。
それがきっかけとなって、私は150回以上も北海道へ足しげく通う人間になったのですが、その北海道から教えられた基本的な考え方として、「自分が住む町を大切にしよう。」と思っています。
住む町だけじゃなくて、働く町も同じですね。
だから、大多喜やいすみ市についても、大切にしたいし、良いものをたくさん持っているのですから、広い地域の皆様に、いすみ鉄道沿線の良いものを知ってもらいたいと思うのです。
いすみ鉄道はローカル線です。
建設時に目的とされた輸送機関としての使命は、もうほとんど終わっている状態のローカル線です。
でも、地域がそのローカル線を「廃止する」という観点を止めて、「良いものを伝える。」という観点を持った時に、いすみ鉄道は活きてきますし、それが沿線地域が持っている潜在的な土地の力だと思うのです。
私たちの祖先が脈々と築き上げてきた地域を、私たちの世代で廃れさせたり絶やしたりすることはいけないことだと思います。
同じように、日本の高度経済成長を支えてきた昭和のディーゼルカーを動態保存することも、とても大切なのではないかと思うのです。
(先週、テルマエ・ロマエ氏にご縁をいただいて札幌へ行った時に大通公園駅で見かけた市民憲章。まだあるんだ、とうれしくなりました。)