昔の時刻表を見ていたら「洗面所がある駅」という記号がありました。
〇に洗という記号が洗面所のある駅です。
でも、洗面所という言葉、最近はあまり聞かなくなりましたね。
お家などではたいていお風呂の隣とかにあって、顔を洗ったり歯を磨いたりするところですが、駅の洗面所と言うとトイレのことだと思う人もいるかもしれません。
だったらあえて洗面所のある駅なんて書く必要もないと思いますよね。
よほど小さな停留所のような無人駅を除いて、駅にトイレがあるのはふつうですからね。

電報が打てる駅
弁当を売ってる駅
洗面所のある駅
赤帽のいる駅
医療設備のある駅
1つずつ解説しましょうかね
まず、電報が打てる駅。
この時刻表は1972年のものですが、当時はもちろん携帯電話などありません。
新幹線には列車電話が付いていましたが、それ以外の列車には連絡手段がありませんでした。
もちろん公衆電話は普及していましたが、いくら駅に公衆電話があったとしても、連絡を取りたい相手の家に電話があるとは限らない時代でした。
私の記憶では東京でも当時3件に1件は電話がない家だったと思います。
そういう時は駅から電報を打つのです。
「今から急行に乗る。何時に着くから迎えを頼む」
てな感じだったと思います。
弁当を売っている駅
これは説明はいりませんね。
赤帽のいる駅。
これは赤帽さんと言って荷物を運んでくれる人が居る駅。
大きなカバンなどを持って改札口から列車まで、あるいは列車から改札口まで運んでくれました。
医療設備のある駅は医務室のようなものがある駅で、お医者さんが常駐していたかはわかりませんが、大きな駅にはそういう設備もありました。
さて、洗面所のある駅。
この洗面所は何かというと、もちろんトイレではありません。
これです。

読んで字の通り。
顔を洗う場所が駅のホームにありました。
この写真は今から15年ぐらい前に撮影した日豊本線の延岡駅の洗面所ですが、当時の時刻表を見ると、例えば山陰本線はこんな感じ。

門司、下関、長門市と洗面所があります。
この先、益田、浜田、大田市、出雲市と続いていました。
ではなぜこのように駅のホームに洗面所が設置されていたのか。
洞察力の鋭い方ならお解りになりますよね。
そうです。
汽車が煙を吐いていたからです。


こんな列車に何時間も乗っていれば、煙で顔が黒くなります。
今、「やまぐち号」だって新型の空調付きの客車ですが、車内でマスクをしているとそのマスクが黒くなりますから。
当時は窓が開く列車ですからね。
蒸気機関車の列車は大きな駅ごとに数分間停車して水を補給します。
上の時刻表の山陰本線で言えば、下関を出たら長門市でしばらく停まって水補給。
益田でも10分程度停車して水補給。
おそらく浜田では機関車そのものを交換して、交換した機関車がまた大田市で水補給。そして出雲市でも水補給して米子まで行くという、そういう運行形態でした。
だから、そういう駅での停車時間を利用して、乗客たちもホームへ降りて顔を洗うのです。
女の人はしないかもしれませんが、男の人は腰に手ぬぐいをぶら下げていて、顔を洗ったらその手拭いで拭く。
そんな光景が全国的に当たり前のように見られました。
国鉄線上から蒸気機関車が消えたのが1975年ですが、今、手元にある1978年の時刻表を見ると洗面所の記号はすでになくなっていますから、蒸気機関車時代の名残だったのかもしれませんね。
この駅の洗面所、しばらく前までは全国の駅で残っていましたが、もう見なくなりましたね。
SLが消えて50年ですから、ホームの改修工事などで洗面所も撤去されてしまったのでしょう。
もうないのかな。
東武鉄道の下今市駅にはSL大樹運転に際し、当時の再現として復元されているようですが、さすが東武鉄道、こだわってますね。
大井川鐵道でも全線復旧完成時に千頭駅にでも作りましょうかね。
ということで、本日の一枚は駅の洗面所のお話でした。
「顔洗って出直してこい」
って言われないようにしないとね。
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