静岡にいると新幹線に乗る機会が多いですね。
東海道線の電車に乗るよりも新幹線の方が多い。
飛行機だったらダイヤモンドカード所持者になれるぐらい乗ってます。
今日も新幹線に乗って。
数日前にサンドイッチ用の薄切りのパンを買ったのですが、なかなか食べる機会がなくて賞味期限が来てしまったので、今朝、サンドイッチを作ったのです。
そしてそのサンドイッチを電車の中で食べました。

と、ここでまた私の頭の中に走馬灯のように子供のころの景色が浮かんできました。
我が家は決して裕福ではなく、どちらかというと貧乏な家庭でしたが、汽車に乗る時にはおふくろさんがおにぎりを持たせてくれました。
うちが貧乏だったというわけではなくて、昭和の時代には遠くまで汽車に乗ってお出かけをする時に、おにぎりを作って持たせてくれるような家は多かったと思います。
もちろん駅弁は売っていましたが、なかなか買ってもらえるわけではなくて、勝浦のおばあちゃん家へ行くときなどは、よくおにぎりを持たされて汽車の中で食べてました。
駅弁を買ってもらえる家がうらやましかったのです。
何でも買えば手に入る時代ではなかったので、お弁当を持って汽車に乗る人は多かったとのでしょう。
で、勝浦のおばあちゃん家からの帰り道、お昼ご飯を済ませてから汽車に乗るのですが、今でもあるのかな。
上総興津駅の山側に1本側線があって、午後、そこから臨時列車が出るのです。
海水浴の臨時列車で、汽車が混んでいた時代でしたが、上総興津始発だったので必ず座れます。
昭和44年頃の話ですが、小学生の私はその上総興津始発の海水浴臨時列車に乗って、東京へ帰るのです。
車体の色は青か茶色かは忘れましたが、機関車が引っ張る客車列車で、先頭の機関車はC57だったのかDD51だったのか記憶にはありませんが、駅までおばさんが見送りに来てくれます。
そして、客車の窓越しにお婆ちゃんが作ってくれた握りずしを持たせてくれたのです。
「お家に持って帰ってみんなで食べてね。」
そういわれてお寿司の入った包みを渡されます。
おばあちゃんが家で作ってるのを見てましたから、中身はマグロの握り寿司ということは知っています。
今でいうところの「漬け」にしてあったかどうかは覚えていませんが、酢飯に生のマグロがのっているお寿司を持たされて、それを網棚だったか、座席の上だったかに置いて汽車は発車します。
もちろん冷房などありませんよ。
窓から入ってくる風が「涼しい」と感じる時代でした。
で、夕方に板橋の家に帰り着いて、もちろんお寿司の包みを手に持って。
ほどなく父親が帰宅します。
「アキラ、帰ってきたか。」
「はい、これ、お婆ちゃんからお寿司」
そういってお膳の上にお寿司を置くと、父は早速包みを開けて、マグロのお寿司を手にもってパクリ。
「おぉ、これこれ、おふくろの寿司。」
「おいしい?」
「ああ、おいしいよ。」
で、私も妹も、みんなでマグロのお寿司をパクついたのであります。
お昼に勝浦のおばあちゃんが握ってくれたお寿司。
冷房もない暑い列車に揺られて板橋までやって来て。
もちろん保冷材なんで物はありませんから常温です。
それを夕方家族でみんなで食べていたのですから、昭和の日本人は丈夫だったんですね。
あぁ、いやだいやだ。
昭和なんて、いやですねえ。
てなことを突然走馬灯のように思い出してしまったのであります。

さて、新幹線に乗って向かったのは岐阜。
岐阜県は交通に関して理解ある県でして、国鉄時代のローカル鉄道を地元が運営する3セク鉄道が3つもあって、さらに養老鉄道も私鉄から3セク化して運営するなど、県と沿線市がしっかりと予算を組んで交通のネットワークを維持する努力をしている県です。
今、近鉄の社長さんの原さんが養老鉄道の社長さんだった当時から、私も懇意にさせていただいていて、姉妹鉄道締結をしたりしましたが、そんな流れの岐阜県ですが、本日はこの方にお会いいたしました。

岐阜県の江崎禎英知事です。
江崎知事は経済産業省のご出身ですが、経済産業省にはけいすけ君という私の学友がいまして、彼は今パリのIEA(国際エネルギー機関)で局長を務めている出世頭ですが、共通の知人がいるということで話が盛り上がりました。
何の話で盛り上がったかはここでは書きませんので、そこは私のオンラインサロンの方でご確認いただきたいと思いますが、江崎知事もベルギーやイギリスに駐在されていた経歴がおありとのことで、楽しい会話をさせていただきました。
去年の秋、けいすけ君からメールが来て、「もうじき定年だから日本に戻ったら大井川鐵道に遊びに行くね。」との連絡がありましたが、中学生の時に同じ塾で机を並べて勉強していたのに、どうしてこんなに差がついてしまったのでしょうか。
悲しい昭和の自分史です。
とは言え、私は今までの自分の人生全く後悔していませんから、すなわち自分が歩んできた人生に納得しているのですが、1つだけ後悔しているとすれば、あの時上総興津から乗った海水浴臨時列車の機関車が何だったのか、まったく注意を払わなかったことですかね。
大網の駅でスイッチバックをして、反対側に機関車を付け替える儀式もあったとは思うのですが、まったく記憶になく、大網の記憶と言えば青木屋だったかな。1個20円のアイスクリームを10円玉を握りしめて買ったこと。
まぁ、それだけ子供だったということなのでしょう。
何しろ小学校3年生ぐらいでしたから。
おばさんに駅まで送って来てもらったとは言え、ひとり旅でしたが、私は電車を乗り回して遊んでいましたので、大人たちも「アキラなら大丈夫だ。」と放任していたのでしょう。
江崎知事とお話をさせていただきながら、今日もまた悲しい昭和を思い出したのでありました。
▼私のDMMオンラインサロン(有料会員制)はこちらでございます。
鳥塚亮(大井川鐵道社長) – 鳥塚亮のローカル鉄道オンラインサロン – DMMオンラインサロン
最近は微妙な話はブログではなくてこちらに書いておりますもので。
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