さいたまの大宮は寒かったですが、静岡へ戻ってきたらすっかり春。
桜もちらほら咲き始めていて、うきうきするような陽気になってきました。
とはいえ、もう冬が終わってしまうことに一抹の寂しさを思えるのも事実でして、ベレー帽をかぶって真っ赤なコートを着たボクの純子に今年も会えぬまま冬が終わってしまう切なさを、ぽっかりと時間が空いた休日に思い出してしまいます。
私は東京生まれの東京育ちですから、大人になって遠くの町に行くようになるまでは行き倒れになりそうな雪を経験したことはありませんが、それでも子供のころの東京には結構雪が降っていまして、雪の朝、長靴を履いて学校へ行くのがなんだかカッコ悪くて、いつものズックで行ったところ、靴の中に水が浸み浸みで、足がしもやけになったりしたことを思い出します。
小学生がやたら色気を出して「長靴は嫌だ」と言ってみたところで、結局はお前さん半ズボンじゃないか。
そう、昭和の東京の小学生は半ズボンがデフォルトで、凍てつくような真冬の朝でも、大雪の日でも小学校6年生までは半ズボンだったのであります。
さて、一番記憶にある大雪は1969年3月12日で、私は学校から帰ると「雪だ!雪だ!」と喜んで、電車に乗って出かけたのでありますが、今は知りませんが、当時の東京の電車は雪が降るとポイントの下に油の入ったランプのようなカンテラというのを入れて、チョロチョロと火を焚いていました。
ポイントの凍結を防ぐための装置でしたが、だんだんと暗くなる中、線路のところどころに火が見えて、何となく不安になったことを記憶しています。
そのうち電車も間引き運転になり、私は家路を急いだのでありますが、小学生の電車遊びは用もないのに電車に乗りに行くものでして、板橋駅から赤羽線に乗って山手線をぐるっと回って戻ってくるような、そんな遊びをしていました。
当時の国電の初乗りは子供10円で、板橋駅から10円で乗って同じ切符で板橋駅で降りることは不可能ですから、山手線のどこかの駅で降りて切符を買いなおして板橋駅まで戻って来たのか、巣鴨で降りて都営地下鉄で板橋区役所前まで戻って来たのか、どうしていたのかは記憶にありませんが、1日10円の小遣いを2~3日貯めては電車に乗る遊びをしていたガキが、春の雪が降った日に出かけた先で電車が間引き運転になって、ちょっとだけ怖い思いをしたことだけは覚えています。
それが3月12日だったかどうかというと正直申し上げて記憶にはないのですが、昨今は便利な時代になりまして、AI様に聞いてみたら1969年の東京の春の大雪は3月12日だと教えてくれたわけですが、だとするとこの写真も3月12日だということになります。

大雪の上野駅。
上野10:41発の成田行の常磐線の825列車です。
当時の私は小学校の2年生でしたからカメラなど持てるはずはありません。
この写真は私の航空会社時代の10歳ほど上の先輩が撮影した1枚です。
で、この写真は実は貴重な1枚でして、10歳年上の先輩ですから当時大学に入ったころだと思いますが、東京都内から蒸気機関車が消えるとあって、いろいろと撮りに行っていたようで、これもその1枚。
大雪の日ですからAI様によれば3月12日なのは間違いないのですが、実は上野駅を出る常磐線のSL列車が消えたのは同じ1969年の3月15日ですから、この写真はそのわずか3日前ということになります。
当時はSLブームの時代でしたが、大東京の上野駅、しかも大雪。3日後には消えるSL列車ですから今の時代なら鉄道ファンが大挙して押し寄せると思いますが、ご覧の通りホームには人影がありません。
のんびりとした時代だったことがわかりますね。

「東京で見る雪はこれが最後ね」と寂しそうにつぶやいたのは別れる彼女ではなく、この機関車C57だったことになりますかね。
ちなみにこの機関車C5771はこの半年後の9月30日に両国発銚子行のさよならSL列車をけん引して、その年に佐倉機関区で廃車になりましたから、本当に東京での最後の雪ということだったと思います。
昨日まで3日間、鉄道博物館でC57と一緒に居ましたので、なんとなくそんなことを思い出しました。

こちらは佐倉機関区で転車台に乗るC5777。
このナンバープレート、どこかに飾ってあったのを見たような気がします。
鉄博だったかな。
今年もベレー帽をかぶった純子に会えぬまま、私の冬は終わっていくのでした。
▼では、「なごり雪」をどうぞ。
かぐや姫 (Kaguyahime) – なごり雪 (Official Audio) – YouTube
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