今日の新金谷駅構内です。

3両の客車が並んで停まっていました。
青、茶、オレンジ
団子三兄弟ならぬ客車三兄弟です。
皆さん、色が違うということがまず目につくと思いますが、実はこの3両の客車は昭和を代表する国鉄の形式なのです。


まずこの青い客車ですが、スハフ43の2号車。
この客車は44系客車と言って、昭和26年に東海道本線の特急「つばめ」「はと」に使用するために作られた花形の特急用客車です。
たった3両しか製造されなかった客車で、東海道本線に特急「こだま」がデビューすると、常磐線、東北線へ移動して特急「はつかり」に使用されました。
最後は四国の高松にいましたが、私も1980年代にこれに乗りに行った記憶があります。
その後、この車両の価値がわかる日本ナショナルトラストにトラストトレインとして保存されて、今、大井川鐵道で現役で活躍している客車です。
先日、全般検査を通しましたので、まだしばらく走る姿が見られると思います。


2両目に連結されている茶色い客車はオハ35。
オハ35系客車ですが、この客車を模した客車が数年前に新造されて「新35系客車」としてやまぐち号に使われているのは皆様よくご存じでしょう。
昨年食堂車「オハシ」に使用されたましたが、この車両は昭和15年製と言われています。
つまり戦前型の車両です。
車内は木が多く使われていて、こういう戦前型車両は私が子供のころ、昭和40年代には普通列車に使われていました。
東北本線や山陰本線などでローカル列車に活躍していましたので、よく乗った懐かしい車両です。



3両目のオレンジ色の客車はスハフ42。
スハ43系客車として昭和26年から製造された客車の系列です。
昭和15年に2両目のオハ35系が製造されましたが、昭和16年から戦時体制に入り、客車の製造が中止されました。
そして戦後の復興期の昭和26年に疲弊した国鉄車両群に新車として投入された客車です。
戦前型のオハ35系に比べると座席回りなどに居住性が改善されていて、ブルーの塗装で主として急行列車に使用されていました。
上野発の夜行列車降りた時から~~
の「八甲田」「十和田」「おが」「鳥海」などの夜行列車に使われていたのを思い出します。
ということで、この3両は「普通列車」「急行列車」「特急列車」として昭和の国鉄形客車を代表する3両なのです。
そして、この昭和の旧型客車群に、もう間もなく新系列客車の12系客車が加わりますので、大井川鐵道は日本で唯一の客車天国となるのです。
ちなみに私は前々職で、国鉄を代表する気動車(ディーゼルカー)である一般形、急行形、通勤形という3両の車両を動態保存しましたが、一応系統立てて意味のあることをやってきているつもりなのですが、それが国鉄時代を今に伝えるということなのです。

スハ43系とオハ35系の連結面を見ると、屋根の形が違うことがわかりますね。
戦後に作られたスハ43系の方はストンとした切妻面、戦前型の方は少し丸みを帯びて絞り込んであるのがわかります。
こういうことがきちんとわからないと、昭和の国鉄を再現すると言っても笑われることになると私は思いますし、観光資源と言うのであれば、きちんと歴史を保存していかないと、掛け声だけでは昭和は残らないのです。

と言うことで昭和後期の急行形客車12系が間もなくデビューします。
そして、大井川鐵道には最後の特急形客車と言われる14系客車も控えておりますので、きちんと系列立てた客車天国になると私は考えています。
皆様、どうぞお楽しみに。
そうそう、私は遊んでいるわけではありません。
これは仕事としてやっていますからね。
つまり、売り上げに通じなければならないのです。
12系がこれからもずっと走るということに価値を感じる皆様方は、ぜひこちらにもご協力ください。
12客車 座席オーナー – 大井川鐵道ONLINE SHOP
客車ファンの皆様方のご賛同をお待ちいたしております。
最近のコメント