大井川鐵道創立百周年まであと3日となりました。
今年は昭和百年ですが、大井川鐵道が創立された1925年3月10日は大正15年。
平成から令和になる時もそうでしたが、元号が変わる時というのは1年で2つの元号がダブるのです。
1925年1月1日から12月24日までが大正15年。
1925年12月25日に大正天皇が崩御されましたので、この日から12月31日までの7日間だけが昭和元年。
1926年は昭和2年となります。
つまり、昭和元年は7日間しかなかったわけでして、私が子供の頃の大人たちは大正の終わりの生まれでも50歳ぐらいでしたから、おじさんおばさんたちの話を聞くと、「昭和元年生まれの人はほとんどいないんだ。」と言われていました。
同じことが昭和から平成にかけてにもありましたね。
1989年というのは昭和から平成に変わった年ですが、昭和天皇が崩御されたのが1月8日。
ということは、つまり、昭和64年というのは1月1日から7日までの7日間しかなくて、1月8日からは平成元年となりました。
さて、話を元に戻しますが、大井川鐵道は大正15年3月10日に会社として産声を上げましたから、100歳まであと3日なのであります。

うちの若手スタッフがこんなカウントダウンを作ってくれました。
私の知らないうちに・・・
だから狸なのか(爆)
これを記念して、明日、明後日の食堂車は地域住民の皆様方をお乗せする特別便となります。
さてさて、このところ取材の嵐が続いておりまして、先日取材を受けました記事が今日のスポーツ報知に掲載されました。

スポーツ新聞ですから娯楽的紙面なのですが、実はなかなか核心を突くような内容になっておりまして、そのまじめな内容について、まぁ、おもしろく書いていただいております。
極論を申し上げますと、今、全線復旧に向けて各種取り組みをしていますが、つまり、お金の算段ではありますが、最悪のケースとして、もし全線復旧に着手できなかった場合は、当然ですが井川線からも撤退する公算になるということと、たとえ全線復旧したとしても、いつまた災害が来るかもしれませんし、パンデミックが再発するかもしれませんから、観光1本に頼っているわけにはいきません。
というようなことであります。
なぜならば、経営者というのは常に最悪の事態を想定しなければならないからなのです。
どんなに厳しい時でもいつもニコニコしているのが私の特技ですが、心の中はそれほど穏やかではありません。
なぜならば、経営者が心穏やかな状態であれば、私などにはお声がかからないからなのであります。
ということで、詳細は下記リンクから。
リンクが切れないうちにどうぞご一読ください。
さあ、百周年に向けてGO!
台風被害でいまだに主要路線の半分が不通…大井川鉄道の〝再生請負人〟鳥塚亮社長が思う100年企業の未来とは(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
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