今日も朝から暑かったですね。
島田市役所へあいさつにお伺いしました。
就任前に一度市長さんにご挨拶させていただいておりますが、今日は副市長さんや各課の課長さん、部長さん方にお会いしました。
ここにはD51が大切に保存されていて、ありがたいところです。
観光文化部の鈴木部長さんです。
副市長さん方の写真は撮り忘れました。(笑)
このところ、こうして各地にあいさつ回りにお伺いしているのですが、その途中で気になることを耳にしました。
「社長さんは2年しかいないのですよね。」
どうやらそう思われている方々がいらっしゃるようです。
その理由は6月28日の就任の記者会見の時に私が「任期2年なので2年以内に結果を出す。」というようなことを申し上げ、その部分がピックアップされて報道されたからのようです。
だから、「2年で居なくなる。」と思われているようなのです。
でも、私はずっと居たいと思っています。
ある朝「今日社長遅いね。」という会話で会社が始まります。
「どうしてるんでしょうか。電話してみましょうか?」
「電話出ませんよ。」
となって、会社の誰かが私のアパートの部屋を訪ねてきたら、そこで倒れて冷たくなっている。
その人には迷惑をおかけするかもしれませんが、そんな形がある意味私の理想かもしれません。
なぜなら私が目指す「生涯現役」というのは、そういうものですからね。
ではなぜ、「2年以内に」などということを申し上げたかというと、会社法上取締役というのは任期が2年と決められているからです。
社長をはじめとする取締役というのは、基本的には2年の任期中に「結果」を出して、その出した「結果」を評価していただくことで「再任」されるというのが株式会社の取締役の仕組みなのです。
もともと私は外資系の会社に居ました。
外資系というところは昭和の時代から終身雇用なんてないと言われていました。
私の先輩たちもある程度のポジションになると「タスク」が与えられて、そのタスクに対して結果を出せないと「お払い箱」になるというのが私が育ってきた世界の話です。
第3セクター鉄道の公募の社長というのも、その会社に解決しなければならない何か問題があるから雇われているということですから、提議された問題点を自分の任期の中で解決するか、あるいは解決の糸口を見つけ出していくことで「再任」していただけるわけで、つまりは社長というのは毎日とりあえず会社にやってきて、デスクでボーッとしているだけで給料がもらえる仕事ではありませんから、常に結果を出していくことが求められるのです。
えちごトキめき鉄道の場合は、私の前任の嶋津社長さんが体調不良で任期途中で退任されたため、1年ほどあった彼の残りの任期をまず満了した後に「再任」されて2年。そして もう一度「再任」されて2年と合計5年間務めさせていただいて、この6月に「任期満了」で退任させていただいたのでありますが、それは前から何度もお話させていただいている会社に対する沿線市からの支援スキームがほぼほぼ形になったことで、向こう10年間大きな事故さえ起こさなければきちんと会社を存続できるめどが立ちましたことから、「私に課せられた仕事は終わった」と判断したためです。
大井川鐵道でも今回の記者会見で申し上げたことは、取締役としての任期2年の中で結果を出していくことで「次の仕事」をいただけるということでありまして、パパが社長だから僕も社長になりますという創業家のようないわゆる「自分の会社」ではありませんから、求められている役割に対してきちんと仕事をして、結果を出していくことで会社も自分も未来が開けてくるわけで、逆に言えば、結果を出せないようであれば私は「役に立たない要らない人間」ということになりますから「再任」の道がなくなるということなのであります。
ではその「結果」というのは何なのかというと、今、危機的状況にある大井川鐵道をきちんと存続させることです。
大井川鐵道はトーマスを走らせているから「大丈夫だ」と皆さん思っていらっしゃると思いますが、コロナでさんざん痛めつけられた上に、2年前の水害で不通区間が発生し、今、全長の半分ほどしか運行できていません。
ということは単純に考えると売り上げは半分になってしまっているということです。
さらに、本線が終点の千頭までつながっていませんから、千頭から先の井川線の乗客も伸び悩んでいます。そういう中でどうやったら会社を維持していかれるかというのが当面の私の使命です。
だから、「まずは復旧を目指す」と申し上げたのですが、でも、その復旧を目指す過程で時間がかかればかかるほど会社のキャッシュフローが減っていくというのは、ちょっと経営をかじったことがある人ならお分かりいただけると思います。
会社というのは決算書上の黒字、赤字も大切ですが、何よりも大切なのはキャッシュフローです。
そういう点ではもうすでに災害から2年が経過していますから、いつまでも復旧を待っていることもできないかもしれませんし、復旧が進まない場合は今の川根温泉笹間渡を終着駅として経営に主眼を置き、井川線も切り離すことを考えなければならないかもしれません。
そんないろいろな選択肢を、会社の体力、実情を鑑みながら選択していくというのが私に課せられたミッションであります。
なぜなら大井川鐵道は第3セクター鉄道ではなく、あくまでも民営鉄道ですから、倒れそうになった時に支えていただける仕組みがないというのが今までの私と違うところで、そういう点では取捨選択していく決断をしなければならなくなるかもしれないのです。
人々は私のことを「渡り鳥」と言ったり「ローカル鉄道の再生請負人」と呼んだりしているようですが、私は再任される限りは、そうですね、私が尊敬する嶋津前社長さんのように75歳ぐらいまでは体力が続く限りお仕事をさせていただきたいと考えていますから「渡り鳥」ではありませんし、経営環境の状況によっては会社を存続させるためには復旧を断念するという決断をしなければならなくなるかもしれないという覚悟を持っていますので、「再生請負人」でもありません。
ということを本日は申し上げておきたいと思います。
おっと、75歳まで大井川鐵道で働こうと思っているということを言ってしまいましたね。
だとするとこれは家庭争議のもとになりそうな予感が。
新潟での仕事が終わって千葉に帰らなくて、そのまま静岡へ来たことだけでも「おいおい」なのですから、「あなたはもう家に帰ってくる気はないのですね。」とカミさんに言われそうです。(すでに言われておりますが)
でもまぁ、うちのカミさんは5人も子供を産んで育ててくれましたので、もう立派に仕事を終えたのですから、子育てが終わったら今度はボケてわがままになった亭主の面倒を見させるといった残酷な仕打ちはできないと思っています。
つまりはピンピンコロリの生涯現役。
一生懸命仕事をして家にお金を送るだけで、あとはお互いに余生を楽しんで生きていかれれば、少なくとも彼女にとっては幸せなのではないかというのが、59歳からの5年間の単身赴任を経験した結果、得られた結論です。
というわけで、うちのカミさんは全国2万人の私のブログの読者の一人ではありませんから、ここだけの話ということで、「75歳まで家に帰るつもりはない。」ということは内緒にしておいてくださいまし。
まっ、その頃には帰る場所はなくなっているかもしれませんが、それもまた人生なのであります。
(違う場所に帰ってたりして・・・爆)
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