新潟のあきら君

昨日の観光急行によく見かける男の子が乗っていました。

「おっ、また来てくれたの?」

「もしかして、社長さん?」

「そうだよ」

「すげえ」

って感じでお話ししたところ新潟市内からおばあちゃんと一緒にやって来たという。
今朝は5時に出て来たと。

おばあちゃんに「大変ですね。」と言ったら、「いえいえ、乗ってるのは結構楽しいですから。」とお答えいただきました。

名前はあきら君。

「僕もあきらって言うんだよ。」
と言ったら、
「すげえ」

笑いました。

いくつ?
小学校3年生。

そうか、小学校3年生か。

私が小学校3年生の時はまだ両国発のC57がふつうに走っていて、上野駅にもSLが出入りしていた。
板橋駅の入換も大宮のD51がやっていたころ。

そういうことが一瞬にして頭の中をよぎりました。

これは名立駅のホームへ上がる階段ですが、壁に建設された年月が刻印されています。
そういえば北陸本線直江津電化が1969年ですから私は小学校3年生。

「僕が小学校3年生の時は、この線はD51だったんだよ。」

そう言うとあきら君は
「そうなんだ。すげえ。」

そしてすかさず、
「80系とか走ってた?」
と聞いてくるので、
「走ってたよ。80系は湘南色だけど70系の方は新潟色だったよ。」
「すげえ」
「あとはクハ68とかクモハ54とか、スカ色のやつね。」
「すげえ」
何を言ってもすげえの連発。

そうしたら、「田島塗っていいですよね。」と言ってきた。
「そう、そう、あれが昔の新潟色。」
「あれって、1番なんですよね。」
「そう、ET127系の1番だよ。」
「それがすげえ。」

観光急行が走り始めてからもう10回ぐらい来ているそうですが、今のうちに思い切り体験して、いっぱい頭の中に詰め込んでおいてくださいね。

それがあきら君の財産になるのですから。

半世紀前にD51の運転士さんに石炭をもらって「すげえ」って喜んでいたあきら君としては、そう思うのであります。

それにしても、今この駅でこの電車が見られるってのは「すげえ」のですよ。
なぜなら、50年前のあきら君の時代はこうだったのですから。


▲Photo by 鈴木幹夫氏

わからない人にはいくら言ってもわかってもらえませんが、価値のわかる人には価値がわかる観光資源なのであります。

観光ってそういうものですけどね。