今昔(こんじゃく)物語

今は昔・・・

 

といってもお化けの電車の話でも夜行列車の話でもありません。

あえて振り仮名をつけてみたのは、今の時代読めない人もいるからで、だとすればお化け電車とか夜行列車といっても???となりますね。

まあ、そのあたりは深入りしないこととして、今は昔のお話です。

 

卒業した小学校や中学校へ久しぶりに行って校庭に立つと、「あれ? こんなに狭かったかなあ。」と思うことってありませんか。

自分のふるさとに久しぶりに行って見る。私の場合は例えばハッピーロード商店街がそうなんですが、昔はもっと長くて、広くて、大きかったような気がするんですが、今行って見ると、大して長くも広くもない。

こういうのって何なんでしょうか?

空間認識能力の変化なんでしょうか 。

 

昔はもっと広々としていたところが、今行って見ると、そんなはずはないんだけどなあ、と思ったりする。

どうしてなのでしょうか。

 

先日、山梨県と長野県を2日間にわたって旅してきましたが、山梨へ行って、その翌日長野ですから、車で出かけました。

でもって、昔よく来た場所を通ってみたんです。

そう、小海線沿線。

私たちの世代は小海線にあこがれていた世代で、以前にも話したと思いますが、C56という可愛い機関車が走っていて、それが急な坂道を上る姿をとらえようと、たくさんの人たちが訪れました。

その機関車は廃止されてしまったわけですが、たいていのSL路線は機関車が廃止されると誰も行かなくなって寂れるのですが、小海線の場合は、機関車が廃止された後、リゾート地としてどんどん開拓され、1970年代の一大観光ブームを巻き起こしました。

当時の東京の中学生、高校生としては、清里とか野辺山という地名はあこがれの的で、私も何度も足を運びました。

その沿線を久しぶりに訪ねてみたのです。

 

小淵沢ー甲斐小泉間の大築堤。

当時はとても雄大に感じたけど、こんなに小さかったかなあ。

すぐそばに高速道路ができたけど、その影響とも思えないし。

▲列車から見たところ。

▲清里駅 今昔▼

清里駅は建て替えられてからも出かけましたが、写真が出てきません。

恐ろしいのは、ここに写っている昭和のギャルたちは、もう60歳になるということです。

▲国鉄最高地点 今昔▼

▲40数年前、中学生時代の私です。

写真が変色しているのが月日の経過を物語っております。

音を撮るんだと、でっかいラジカセを持って旅行しておりました。(笑)

▲その最高地点から野辺山方面を見たところの今昔▼

木か大きくなったのと、電柱が立ちました。向こうの山は同じ。

▲野辺山駅 今昔▼

駅舎そのものが可愛く建て替えられています。

▲野辺山駅ホーム 今昔▼

 

▲角度を変えて 今昔▼

ホームの向こうの側線にC56が停まっていましたが、昔の方がはるかに広々とした駅構内だった記憶なんですが。

今は人もいなく、がらんとしているんですが、昔に比べて小さく感じました。

 

どうしてなんでしょうねえ。

 

▲こちらは少し先の佐久海ノ口駅 今昔▼

昔はこんな木造の駅舎でしたが、今は建て替えられておしゃれな感じに。

右側の車が止まっている横は、当時は出荷する丸太の置き場になっていました。

右手奥には高原キャベツの段ボールが積まれていましたが。

今はこんな感じ。

やっぱり昔に比べて小さい感じがしました。

夕暮れ迫るホームはこんな感じ。

反対側のホームには可愛い待合室が建っていました。

その昔はこんな待合室。

今のホームはこじんまりとして見えて、やっぱり昔の方が広々として見えました。

 

何でしょうね、この感覚。

 

高いビルが立ち並んだのならわかります。広々とした場所で、かえって過疎化が進んでいるにもかかわらず、昔の方が広く見えたという不思議な感覚。

 

子供の頃に撮った稚拙な写真。それも保存状態が悪くてお見苦しいかとは思いましたが、今回、昔撮影した場所を巡って、昔撮った同じ地点に立って撮影してみました。

 

私の小海線「今昔物語」でした。

 

同じ時代を過ごされた皆様。

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