21日の金曜日に獨協大学で先生をさせていただきました。
毎年この時期に全学共通プログラムという講義を持たせていただいて10年以上になりますが、最初の学生さんたちはもう30代半ばぐらいになられているんですね。
経営学部の高松先生から、今年もお声をおかけいただきました。



この線は楽しいところで、しばらく待っているといろいろな電車が通り過ぎていきます。
少し早めに行って、駅のホームで電車を眺めていましたが、私鉄の特急って楽しいですよね。
乗ってみたいなあ。
さて、年を取ったのでしょうか?
突然変なことを思い出すもので、この時ふと思い出したことがありました。
私にはクミちゃんといういとこがいて、クミちゃんは年は一つ上でした。
仲の良いいとこで、いつも遊びに行っていたんですが、あれは昭和43年ごろだったと思います。
クミちゃんの学校で運動会があるというので、アキラくんも見に来てねと言われまして、行ったのです。
五反野の駅前の踏切を渡った近くに小学校がありまして、その小学校で運動会があったのですが、運動会をやっている最中に校庭の向こうを電車が走っていくんです。
それが気になってね。
今思えば多分5700だったと思うんですけど、そんな記憶が突然蘇ってきました。
なので、獨協大学の帰り道に五反野駅で途中下車してみました。
クミちゃんの家は多分ですけど五反野と綾瀬のちょうど中間地点の、綾瀬川のほとりにありましたので、私はいつも常磐線の電車に乗って綾瀬の駅で降りて、畑の中の道を歩いていきましたので、今回五反野駅で降りたのは人生初でした。



もちろんですが、今の五反野駅は高架化されていますので駅前踏切もありません。
私のうっすらとした記憶ではこの辺りの道を歩いて、踏切を渡ったんでしょうね。
昭和43年と言えば1968年ですから、今から57年も前のことです。
駅構内の地図を見たら、五反野駅の近くに小学校がありましたから、多分ここだったのでしょう。
私の記憶は間違ってなかったと思いますが、だから何だという世界でもあります。



でも、たぶん当時からやっていたんだろうなあという中華食堂が駅前にありましたので、ちょうど小腹が空いてきた時間だったものですから入ってみました。
メニューの中から目についた焼肉定食を注文して、「寅さんはこうして旅をしていたんだろうなあ」と思ったものでした。

再び電車に乗ったらちょうど太陽が富士山の所に沈んでいくところでした。
写真では富士山は見えませんが、肉眼でははっきり。
「あぁ、俺は今からあの富士山の向こうまで帰るんだなあ。」
なんて思っていたら線路の下を常磐線の電車が通り過ぎて行きました。

そういえばここは昭和24年(1949年)に下山事件があった現場でしたね。
当時は家が全くない湿地帯だったと思いますが、私は生まれてもいませんでしたので「そういう場所だ」ということしか知りませんが、今から76年前のそんな歴史知る人も今では少数派でしょう。
常磐線と言えば三河島の事故ですが、あれは昭和37年(1962年)ですから私は記憶にはありませんが既にこの世には居たことになります。
クミちゃんの運動会へ行ったのが昭和43年だとすれば、その時は三河島事故からたった5年しか経ってなかったということになりますね。
そんなこととはつゆ知らず、私は常磐線の電車に乗ってクミちゃんの家に遊びに行っていたことになりますかね。
クミちゃん家からの帰り道、常磐線の電車は茶色い旧型電車で、南千住の所で東京球場の明かりが煌々と点いていたことははっきりと覚えています。
その後、クミちゃんの家はおじさんが勤めていた工場が群馬県へ移転し、綾瀬から引っ越していきましたので、千代田線の電車が開通したころには私は常磐線に乗ることもなくなっていました。
綾瀬の駅前には牧場があって、その牧場が鳥塚牧場と言っていたころのお話です。
親戚でも何でもありませんが、鳥塚という苗字が他にもいるんだとはじめて思ったものでした。
クミちゃんとはかれこれ30年以上会っていませんが、もうおばあさんになっていることだけは間違いないですね。
なぜか知らないけれど、突然蘇ってきた50年以上前の記憶に従って、思わず途中下車してみた「東京散歩」の夕方でした。
最近のコメント