食べ物も、ローカル線も、本質を味わうこと。

私が子供のころは、明治生まれも大正生まれも昭和一け生まれも皆さん健在で、大人たちは背筋を伸ばして、文句ひとつ言わずに毎日働いていました。
そのころ、その年代より下のお兄さんたちは、ヘルメットをかぶってマスクをして、棒を持って警察と毎日のように喧嘩をしていました。
お兄さんたちは、警察と喧嘩するだけじゃなくて、明治生まれや大正生まれ、昭和一けた生まれの大人たちに向かっても、「何言ってんだよ、そんなのもう古いよ。」と、「あなたたちの考えは古いんだよ。」ということを、口をそろえて言っていたことを思い出します。
ところで、その当時の大人たちは、30代後半以上は皆さん戦争経験者でしたから、食べ物がなかった時代を生き抜いてきた経験がありました。
だから、食べ物を残したり、粗末に扱ったりすると、とても怖い顔をしたものです。
今では、テレビのお笑い番組などで、口から食べ物を吹きだしたり、食べ物を「道具」に使ったりするシーンがふつうに見られますが、当時は、そういうシーンがあると、「けしからん。」とみんな思っていたのです。
私は野菜が嫌いでしたし、とにかく好き嫌いが多い子供でしたから、ご飯の時間がとても憂鬱で、親戚が集まってご飯を食べるときなどは、「好き嫌いが多い」から始まって、「食べ方が汚い。」まで、おじさんやおばさんからいろいろ言われるわけですから、消え入りたい気分だったことを思い出します。
そういう、ものがない時代を経験してきた人たちは、少ないものを分け合って食べることになれていましたし、何でもおいしくいただくことができる特技を持っていたのです。
ところが、それからしばらくして、棒を持って警察と喧嘩をしていたお兄さんたちの時代になると、食べ物が豊富になったせいもあって、いろいろなお料理が出てきました。今では当たり前になった、熱い鉄板にのったハンバーグステーキなども、それまで高級品だったものが庶民の口に入るようになってきたのです。
今思い返せば、そのころ、昭和40年代後半から、日本人は、より高級でより豪華なものがおいしいものだと思うようになったのです。
これは、それまでの質素倹約的食生活に対する反動かもしれませんが、明治、大正生まれの人たちが現役を退いて、戦後生まれが主流を占めるようになると、値段が高いもの、遠くから取り寄せたもの、珍しいものなどが重宝がられるようになって、身近にある昔から食べてきたおいしいものが忘れられるようになりました。
そういう日本人の傾向が顕著になって、最大になったのがバブルだと思います。
以前にも書きましたが、バブルというのは私が20代の時に発生しました。
例えば、当時、日本人の食卓に一般的になったものにワインがありますが、日本人は見慣れないワインという飲み物に対して、味ではわからないものだから、ブランド化して、「有名な土地で採れたブドウを使った何年製のワインが素晴らしい。」と思い込むようになりました。
つまり、味ではわからないから、価値判断する基準として、値段イコールおいしい、ということが言われるようになったのです。
食べ物も、できるだけ希少価値が高くて、遠くから取り寄せたものを、できるだけ高い値段で食べさせるレストランに人気が集まり、予約が取れない状況が続きましたが、そういう時代もやがてバブルの崩壊と共に終わりを告げることになります。
そして、今の時代。団塊ジュニアといわれる人たちが世の中を動かすようになりました。
ヘルメットをかぶって棒を持って警察と喧嘩をしていたお兄さんたちの子供の世代です。
その世代、今の30代から40代前半ぐらいまでの人たちはバブルを知りません。
そして、その後の景気低迷の時代が当たり前だと思っているわけですが、私が感じるのは、そういう人たちは、実は、安くても本当においしいものを見つける能力が備わっているのです。
だから、昔から変わらずに営業している肉屋さんのコロッケやメンチカツを、素直においしいと言えるのが彼らで、ガールフレンドとラーメン屋さんの行列に並ぶのがデートなわけです。
私たちの若いころは、肉屋のメンチがおいしいなどということは、たとえそう思っていても口に出すべき雰囲気ではありませんでしたし、ラーメン屋さんの行列に並ぼうものなら、ガールフレンドはその場で「さようなら」と破局が待っているのが当たり前だったのですから、私は、今の若い人たちに対して、いつも尊敬の目を向けざるを得ないわけです。
私が、ローカル線という素材を使って皆様方に笑顔になっていただきたいということには、今の若い人たち、つまりこれからの日本を作って行く人たちが、日本の田舎の持つ雰囲気にあこがれているその気持ちを、ローカル線のファンになっていただくことで具現化していただいて、田舎を身近に感じていただき、ふるさとのように思っていただくことです。
東京志向がある意味バブルの象徴であるとすれば、田舎志向(嗜好)が、これからの時代の「幸せになり方」に一番の近道であるからで、お金があるとかないとかにかかわらず、みんなでしあわせになれるのは、ローカル線沿線の得意技だと考えているからです。
消費税の増税が決定するなど、当面の間は、厳しい時代が続くとは思いますが、そういうこととは切り離して、「なんて幸せなんだろう」と気づくのがローカル線で、そういう意味では、ローカル線は都会の人たちの物でもあるわけで、ローカル線の本質はそこにあるのです。
もう、値段の高いものがおいしいものという価値判断を持った人たちの時代ではなくなっていることだけは確かですし、そういう人たちが当たり前だと思っていた「遠くに行くことが凄いこと」という時代もとっくに終わっているんですから。
私の2冊目の著書 「ローカル線で地域を元気にする方法」 を三省堂書店の方が書評を書いてくださいました。現役書店員さんがお勧めする今週の1冊。多分、わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからないんだろうなあ。
さて、あなたはどちらですか。

「あなたにはこの鉄道の良さがわかるかしら。多分わかんないでしょうねえ。俗物には。」
きっと、そう言っているミイです。